雑感想(北海道の鉄道)

旅行が好きなのであちこちいくが

何度か行くとそこに愛着もわく

 

指宿とか何度かいった御陰でもう愛着は確実にある(生活

できるかどうかは微妙なまち・・・温泉が現役なのはわかるが)

 

北海道

なにしろ鉄道好きなもので

鉄道にのりたいわけで

長野県に住んだときは鉄道のれるぶんはのったし

ジョギングして小海線の駅をのぞいたりしたり

岩手にいたときはなかなかいきにくい部分北東北とか函館とかちょいといったり

 

それにしてもここ数年(’とくに令和になって加速して)

更に

現実としての「維持できないくらい収益がわるい」ので

鉄道はもう公共インフラとして存続しえない現実が

ここにあり

なくなりそうだから行ってみたいという鉄道好きのわるい性癖が

わいてくるのである

 

しょうもない話である

 

レンタカーで秘境にいったとてそれは

あるいみではレンタカーさえあれば誰でもできることであって

そんなに高い価値が感じられないのである

なんでだろうね

 

鉄道に乗車することだって誰にでもできることなのに

 

違いがあるとすればそれは時間と運行スケジュールが決定している

のでそれに合わせないといけないし

廃止されると永遠にそれができなくなるので期間も限定的に

なっている

 

いましかできない

 

いましかできないことというのは希少性というちょっと上乗せが

プラスされるといえる

ただそれは自己満足の上乗せにすぎないので

ユニバーサルな価値とはいえない

 

まあいいんだけど

 

なんだろう

公共に資する活動としての鉄道運営にはそのものとしての価値

(存在することの価値)があると思うんだけどね

それは人類がたまたまその時期は

個々が車でガソリン消費してうごきまわるようなことではなくて

鉄道という長大重いインフラを建設し

そこには技術がつぎ込まれていて

18世紀産業革命以来の人間の「鉄を機械で加工する」ことの

行きついた先の行き止まりの証拠がそこにあるのである

 

鉄は高温(融点約1540度)

じゃないと形を変える加工ができないし

 

いろいろ略して

 

しかし産業革命期に「繊維を加工する」が巨きい意味を

もっていたのがちょっとオレはいつも不思議で

なぜ繊維?

食う寝る住むの次に服を着るがくると思っていたのだが

つまり優先順位は低いと思っていたのだが

やっぱり「服」を工業製品として個々の人間のためにつくること

が重要だったのだろうか

服がないと生きていけないのだろうか

そうだよなあ

裸でも生きていけるけど寒いので

まず動物の毛皮を着ることにして

そのなめしとか技術は大変だったわけで

 

そのかなりあとになってからなのか

植物繊維を加工するというアイデアがうまれ

 

そのかなりあとになってから

綿花の繊維でやわらかい布がつくれることができるようになり

それが夢のようにふわふわで柔らかくて・・・

色をつけてさらー^ーっとたなびく

それは夢の光景

みたいなね

 

なんだっけ

 

そうそう鉄道は機械工業加工技術の行き止まりの産物だ

 

という話です

 

そこまでいってもう人間にはやることがなくなったのだ

 

ダムをつくってみてもう巨大建築物をつくることがこれ以上は意味がなくなってしまったようにね

 

ダムは

電力と水治について有益だったこともあるが

それ以外には下流渇水を生んだり

いろいろわるいこともたくさんあって

治水とか我慢して暴れ川はそのままにしておいたほうが

よかったんじゃないかと思うこともあり

オレが世界をつくる神ならダムの時点で

人間のそれをくいとめてもうやめとけとするんだが

あらゆる禁忌をそれやってみたいなとかいって

人間どうしで猟奇殺人してしまったりするのが人間なので

もうどうしようもない

 

さてそういうことがあって

北海道は開拓されたわけだがそのためにあちこちの土地を

つかっていろいろやってみたがこれもまた行き止まりになり

開拓してすることといえば農業と酪農で

それは

それ自体として意味があるが

しかし金銭を媒介とする経済の中では

ペイしなくなっていった(投資にたいしての収益がマイナスになった)

のでもう北海道の中で土地に依存してはじっこのほうへ

行く必要がなくなっていったのだ

 

土地がひろくないとできないような経済活動は

他の国にまかせればよくなったのだ

 

まあ一部の成功している農業者と酪農者は北海道の広い土地のあちこちにちらばっていまでも住んでいるが

その人たちは生活の足としての鉄道など必要とはしてないから

鉄道はいらないのである

 

鉄道が必要なのはそういう土地から収益を上げる人ではなく

日常的に移動する人たちであってそれは

通学

買い物

通勤

という「ほぼ毎日でもそれをするための移動」が習慣として

やっている人たちのエリアでしかもう成立しない

 

長距離移動は飛行機かバスの二択になったのだ

 

鉄道かわいそうだけどそういうことでもう維持するのにお金が

かかりすぎるようになったのだ

 

バスでさえも維持できないぎりぎりになっているのだから

 

そもそも「こうきょう」という概念そのものが崩壊している

ダイヤグラムがあってそこにいけばその時間に運行している

という

「固定」が

もう

それに利用者が合わせるが大変になってもうそんな不便なこと

したくないと言いだしたのだ

 

そもそもが集団としてまとまって移動するバスとか

乗り合いじゃんね

なぜ他人といっしょに行動しないといけないのだ

一人でいくよ

 

そういう人は小型自動車で移動します

 

レンタカー

 

もどってきたね

北海道はレンタカーでうごくことの自由度が他の場所より巨きいのは

なにしろ「広い」し

鉄道による移動など当てにできないからなのである現状

 

なくなりそうなものを観てみたいやじ馬の本能は

消えない