昨日の名駅タカシマヤタワー三省堂での立ち読み記録

めについた本たち(人類学・世界の歴史のコーナーにて)

 

アイスランド女性漁師いるいない

アイスランド 海の女の人類学』マーガレット・ウィルソン

いるかと現地できくといないといわれるが

歴史的にも

いたし

かくされた歴史みたいな

実際にはいた

・『ウィメン・ウォリアーズ はじめて読む女戦記』パメラ・トーラー

戦争とか戦士とか兵士に女はいなかったかといえば

そんなわけはなく歴史の中の

女性の闘う人を戦う人をあつめた本

 

アメリカを二人で放浪すると現地の人たちとの出会いが

と書くと凡庸すぎるのだが

アメリカの〈周縁〉をあるく: 旅する人類学』中村寛 松尾眞

なんかこういうの読むといつもそういう

ような学究の旅もいいけどあんたら予算どうなってんのと

思うのね

でも気楽ならいいよねそのほうが気分がいいと思うようになった

アラスカもいいなあ

しかし日本人(オレ)は本当にこういう

安心して放浪できるのがいいなあ憧れで

アメリカはそれなりの「文明国」だからこそ

車の旅そしてガソリンスタンドが必ずあるじゃん

アフリカとかそうはいかなそうじゃん

実際にはチャリダーマンの旅のレポをみていると

アフリカだろうとどこだろうと

人間のいるかぎり

適度な間隔で道路があれば店があり人間の

暮らしに必要なものはあるんだけどね

 

・農地で堆肥が発酵し人間も発酵しろ

『人類堆肥化計画』東千茅

立ち読み二回目か三回目

まだ買わない

どうしてもこの人のしていることとか

その仲間とか

マガジンとか

いいなあと思うが

土地をもって米をつくっている以上は

その土地を持つにいたる経緯(あまりおもしろくない経緯)

があるはずで

つまり放浪の逆で

土地をもつ(使用権をかりる)ことはその土地に

しばられること(義務)と同義であるということ

かならずあると思うのね

それはオレが市民農園やってみておもったが

まあ失敗したんだけど

農と堆肥と発酵みたいなことをするのは

旅の反義であるということ

 

なぜアメリカのそればかりが強調されるのか

といつも思う

世界は広いのに

 

やっぱいま(21世紀)が

アメリカの世紀のおわったばかりというか

まだまだアメリカが世界だ

テーゼがおわりきっていないという日本の

むりやり影響うけるわけよ

 

それがもしも歴史のIFで

中華が世界を耳 

牛耳る

そういう歴史だったらオレたちは

みな書店で「世界放浪かー」とかいいながら

文化は中華の文化があれば放浪していてもガソリンスタンドも

あるし

話は通じるから文明の中で旅ができるとかいって中華的なその

すべて

共通語は中国語で

日本人はまだ漢字がわかるから世界を旅しやすい(英語人は漢字がわからないので苦労する)というパラダイム

みたいなSFがね

もうあると思うけどね

 

そういうIFもあると思ってさ

 

それにしても書店はいいよねいつもいい

タカシマヤタワーは

おしゃれ服飾とコスメとアクセサリ^ー

があれば女子がぶらぶらやってくるよね

名古屋文化は栄なんじゃないの?と思う

こともあるがわからん

名駅のタワーのタカシマヤのパワーはすごいと思うけどね

マツザカヤとかなんか独立して立ってる感じがするんだけど

まあでもあれだね

栄から伏見とか

あのへん前に歩いて

やっぱ休日はごったがえしている(道が)し

そういうことなんだとも思うのよ

 

書店が混んでいるかぎりは日本もまだ大丈夫と思うけどね