本日(3月13日)

・今日は名古屋まで

ハンカチも持たずでかけましたが

鼻水は一時期マスクの中にあふれましたが

また乾いてきて

とくになんとかなりました

 

・スタバに朝にいってから

電車で名古屋に向かい

まもなく終わってしまうメイチカ(3月末だって)で

ドトールに入り

めっちゃ混んでるねえ

 

イチカなくなったらあの人たちどこにいくんだろう

ユニモールにそういう店ある?

スタバにいきたくない人が来るんでしょドトールって

 

そして時間がだんだんアレなので伏見に向かう

 

伏見できいてみたが

やはりイニシェリン島のパンフは売り切れ

 

映画たのしい

 

おわってJRで帰る

 

まあ

 

そういう気楽な日だったよ

 

三省堂白水Uブックスでウルフの小説も買ったし

 

それはル=グウィンが勧めてたからです

 

今日は電車で主に読書して

ル=グウィンのエッセイ書評をまとめた本ではどこをみても

これはル=グウィン節なんだろうなあと思ったりしていた

褒めるところを的確に

たとえばディックをほめるときは

超覚醒みたいなドラッグ文学はあまりよくないとか

しかし(なんだっけなあ)

みたいなことで

 

あとは高山羽根子『パレードのシステム』をよみはじめて

いらいらし

こういう主人公って何をするときもかならず心の中で相手に

申し訳ないとかごめんとか

うるせえよその指向後ろ向きすぎるよ他人のことなんかどうでもいいじゃん!

とオレは言いたくなって

 

それで笙野頼子の小説を関連で思い出して

昨日図書館でかりるのゲットした山尾悠子のエッセイ書評集で笙野のこと

書かれてたなあと思った

 

オレはもちろん個人の感情でイライラしているだけのことで

小説のテクニックとしてこのように個人の感情がゆさぶられてるので

小説としては優秀であるということである

なにも感じないのが最低じゃないですかね

 

その意味では映画だってなにかが感じられないといけないと思うの

 

って思いました