日曜ここまで

眠くなってきた

ので

覚えてる順にかくが

図書館に(期限の)本かえしにいって

そしたら池澤夏樹『また会う日まで』があったんです

ついに刊行されたか

問題の多い新聞小説

 

問題というのは途中で連載中に作者が

つじつまあわなくなってきちゃったって堂々と書いていた

件です

オレは善く覚えていますよそれ

ちゃんと毎日おいかけて

読んでいないぶんは図書館でフォローしたんだからね

 

新聞小説をまじめに読んだのは「湿原」以来でしたよ

 

というわけで

いろいろたしかめたいことがありかりてきた

 

あと朝日新聞日曜をよみ

短歌では

松田姉妹の梨子さんが

原宿でのできごとの短歌がのっている

 

いいものだ

 

日曜の新聞だけではなくなんちゅうか

新聞そのものというもの

 

いやさ新聞がそうなのではなく他人の頭の中がそこにあるという

意味で毎日なにかを読むということがオレにとっての

生命線であるということがリアルに感じられるんである

 

逆からいえばそれがないとかなり苦しいということである

 

いくら社会的な社会資本が貧困で誰とも普段会話しない生活を

送っているとはいえネットにはどっぷりつかり

テレビっ子でもあり

そういう人間は新聞も毎日よむのがほんとは基本で

そこにいろいろオピニオンとかも

ニュースとかもなんかいろいろあるんだよ

いちおうね

 

ホンジュラスが台湾と断交して中国と国交とかね(ホンジュラスの声明によればかれらもかれらの事情でいろいろ輸入したい物品とかもあってそれは中国からという方法でしか得られないようである)

サプライチェーンの問題である

 

なんだかねえ

相撲の取り組みのところに大栄翔をほめる文章とかあるわけで

ネットでそれ読んでも同じなんだけどさあ

なんで新聞をオレはそのように集合として高い価値をそこに

認めるわけ?

 

ってオレも自分で不思議ではあるんだけども

 

しょうがない

そういうことはあるんだよ

 

書評委員から

金原ひとみさんとトミヤマユキコさんが

ダブルでいなくなってしまうのでがっかりである

いやわかるよ本業がお忙しいでしょうからねえ

うんうん

しかしこのお二人がどのようなものを選択して評しているのか

がすごくオレにとっての大きいイシューだったわけです(ファンである)

 

まあ新しい委員に期待するしかないよね

 

オレは社会資本弱者であることを自覚するとともに

・なぜそれを恥ずかしく思うのか?

なぜそれを他人と比較する必要があるのか?

 

・なぜオレはそこで「ああ無職だと手形がないのでこころもとない」と

思うのか?

・なぜオレは「小説で新人賞でもとればたとえ収入がなくてもその

盾をもつことでオレはただの無職じゃなくてこういう特殊立場なので

あるから恥ずかしく思う必要がないのだよ!ははは!愚民どもめ!」と

言いたい

という欲望が強いのか(それはオレにとってかなりおおきい

モチベーションになっている)

そんなモチベはダメだよねえコドモに語ってきかせらんないよね

コドモいないからいいんだけどね

 

どんなバッドなモチベでも何もないよりマシである

ような

気もする

んだ

けど

ねえ**