違うこともかく

比較こそがすべてだ

とパースの紹介する本でも

文学批評の本でも

そういっているからそうなんだろうね

 

肥溜めから荒野におりたつと

荒野のほうがくさくないだけマシだって思うのかな

 

オレは最近読んだ小説がどうもなんか共通して

無蓋の貨車に人間をつめこめるだけつめこんでのまずくわずで

強制収容所まで運ぶという描写があるものがあり(2つ)そこでは

すわることさえままならないくらい人間がたくさんいるので

折り重なるようにして寝るしかないし

排泄する場所もないのでどこかここだと決めてそこに皆が

するしかないがそれはとうぜん捨てるにも捨てきれずしかし

みなもう裸で衣服などもなく

空腹で気力もなくなっていくという描写だった

 

まあその小説たちのなかでもっとも最近に近いのが闇の左手なのだが

まったく海外小説は読んでてエンジンかかってくるまで遅いが

かかるともうそのイメージの豊穣さにやられる

「(一人だけで脱出救命宇宙船の中でめざめたオレはまずオレが誰で何の使命

なのかを思い出すことからはじめていたなにしろ記憶喪失)」という小説とかも

よかったねえイメージ風景なにもかもが新鮮で宇宙人のフォルムなんて想像だけ

だからねえ

みたことないもの

だれもが

 

ほんとに「死んだあといける楽園」とかあったら本当にどんなにいいだろう

とか今日はちょっと思うねそういうイメージは人間ときにそれによって

救われることもあると

そして同時にGちゃん研究中の地獄寺だって「死んだあとにはこういう世界がある

のだ!」という見せつけでありこれもまた現世にはないもののイメージを

ありありと我々に見せてくれるのである

われわれは

いまここにある現世の現代の風景にあきあきしているのかもしれない

 

無蓋の貨車にのるなんて

 

もうそういうイメージは映画の中でしかみられない

(だいたいJR貨物には無蓋貨車なんてあるのかね?

東海道ではついぞ見たことないぞ)

 

北海道とかにはあるのあ?何はこんでるの?