考えようによってはなんでもアリになる
だろう
ランジャタイのANN0(あのちゃんが休みだったところで代打の)
をきいてる
国チャン良くしゃべるなあ
しかも話がちゃんとしてる
ヤーレンズとえらい違いだ
まあいいけど
考えようによるというのは最近ずっと考えている「ちゃんとした社会人
男性がなぜまともであることになったのか」
の反対のことつまり
「ちゃんと仕事をしていないくらいのことでなぜ平成令和日本で
まともな人間じゃないという
蔑み
を受けなくてはならないのか
ということの背景である
なぜならオレはぜんぜんちゃんと仕事をしない人間
であると同時に自分のことをこんなに素晴らしい人生はないと
確信しているからだ
ここにあるのは
・自分にとって自分の人生は個別性により特別な位置にあるという認識
・社会の判断基準は多くの人がそう信じてるものにより構成される
・社会の判断基準は「それが正しいから」ではなく「信じている人間の数が多数であるかどうか」により構成される
・正しさはどこにいった
というあたりである
まあしかしもっと単純化していくと
・世間でちゃんと仕事しているみたいなイメージは
所詮少ない情報によって構成される「イメージ(あやふやな)」に
過ぎない
・職場でみっちゃく取材もしてないのにその人間のやってることが
わかるわけないからである
・わからないけど「定年まで勤めた」みたいなことがあたかも
「価値」であるかのように言われているが
・平成をへて令和になりますますそういうハリボテ認識が
バケの皮剥がれである
・なぜならば定年まで1つの会社にいる人間が本当にすくなくなり
・定年まで1つの会社で我慢していたということは創造性を発揮せず
自分の意見を主張することもなくのらくらしていたことをあらわす代名詞
として機能するようになったからである(仮説)
ここで仮説をつくってみたが
多分令和日本において「終身雇用」は
・そもそももうほとんどない
・昇給する見込みがない
・メリットがない
・追いだしたい(早期退職推奨)
・新自由主義により会社そのもののサバイバルが優先となり
とてもじゃないが終身雇用なんて維持できない
・会社が家族みたいなイメージは地におちた
みたいなね