8月10日(土)

outdoor activities weigh huge amount for our soul

「屋外活動はわたしたちの魂にとって大きな意味をもつ」

Google翻訳は訳した

 

まあ『男はなぜ孤独死するのか』

のことを考えていたのだが

孤独死うんぬんは別にして別に考えて

 別にすることが重要で

 

屋外(家の中ではない)が重要であるのはすべての人間にとって

そうであり

ウォールデンその他森の生活がわれわれのその出自だったことは

疑いのない事実で

『森の生活』ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

ウォールデンというのは湖の名前

 

というのはなんだろう

オレが実感でそう思うのだが

 

現実において我々は世界の中でしかいきられないのだが

家の中は「世界」ではない(ひきこもりは「世界」に出ていっていない)

 

たぶん用語として「世界」じゃないほうがいいとは思うが

ここに「社会」というのは違うわけだし

自然を含む「世界」のほうが人間がつくった都市と集落の「家」にくらべて

ぜんぜん広く濃くそして大きく強く

都市と集落なんかかろうじてそのようになっているだけで

ほんの数年ほっとくだけですぐに自然化する草が生え動物が侵食し

木がはえて家をこわし自然にもどっていくようにみえる

腐らない人工物もあることはあるがそんなもんは自然の植生にとって

なんの障害でもなく動物の動きもさまたげるものではない

からしてわれわれは所詮自然全体からみたらカケラのような

ものなのである

 

つまりしんだらそっちにかえっていく

のである

 

いまやってるこういうなんかネットとかそういう人工的なそれは

ぜんぜんたいしたことないわけで

 

そのことをなるべく忘れないようにしていきたいものだと思うのである

なんというか自然信仰とか太陽信仰みたいなものにも

似た感情がオレの中に起こっており

たぶん家の中でクーラー三昧してることがそんなに快適でもないこと

を考えると

ほんとは湿気があろうとなかろうと自然状態というか

湿気に肌をさらしていたほうが健康にはいいような

気もするのだが

そうなると健康とはなんだ(快適性とはちがうのか)ってことが

あり

 

べつに肌がさらさらだから「健康!」なわけはないのである

 

じっさいに普段意識していないが実際はこうであるということは

たくさんあって

・人間は死ぬ

・すべての人間はそんなにたいして差がなく偉くもない

・自然にはかなわない

・雨はふるし地震も起こる

 

こんなもんである

雨がふると不自然な土砂のかたまり(弱い崖など)は崩れる

地震が起こると崖なども崩れ地が割れ(アスファルトに亀裂)

そっちの力のほうが強い

 

いままさに「南海トラフ地震注意」とか国家がそう言っており

市民の自由な生活や商業活動交通を規制にかかっており

ウソつきの謗りをうけるのは覚悟の上でやってるんだろ

勝手にしろである

地震が実際におこれば津波もおこるし

かなり大きい死者の群が

わきあがるであろうことも我々は知っているのだが

知っていることとそれを受け入れるのは別のことであり

 

能登半島先端地震で何人死んだかと

地震関連死(地震後の環境悪化で死んだなど)で何人死んだかと

 

そう考えると

・夏の熱中症は所詮自然のパワーなので行政府がその対策をしたところで

たいした効果もない

地震で死ぬことについて行政府ができることは原子力発電所

これ以上つくらないことといまあるのを廃炉ちゃんとやり遂げることだけだ

 

みたいなもんで

われわれは完全管理国家(市民に意思がなく行政府がすべてを行う)に

住んでいるわけではないので

自然が起こすことから起きることには対処もなにも

できん

と見做すほうがまだマシというもの

だと思われる

 

どっちにしろ人間が絶滅したあともまだ地球は

もうしばらく40億年くらいはもえつきないのである