8月26日(月)

月曜だがたいしたことはない

このような立場を手にいれたバーターとして

不安(または恐怖)のようなものを手にいれたわけだが

それはきのうあっちのノート屋さんのノートに書いたから

いいんだけどまあもう一回ここに

書いてみると

「資本主義では資本の増殖がいわば生命線

資本つまりカネ

カネなきものは食えない死」という宗教である

宗教と呼びましたがこれは「根拠なき正しくもないことをあたかも

根拠があって正しいと信じてしまうもの」という意味でオレはつかっている単語

 

なぜならべつにカネと食い物は一緒ではなく

・食い物を人からもらう

・食い物をぶつぶつ交換で入手する

・犯罪することで収監され食事を得る

・食い物になるものを育てる

・食い物になるものを狩猟でゲットする

などの「方法」があるからである

それがなかなか「大変」だから

カネでゲットするほうが「ラク」なのでカネをゲットすることに

しているだけである

 

ラクというかね・・・・

 

それこそ一乗寺恵文社(書店)にはいろんなコーナーがあるんですが

さいきんはあちこちでみえるようになりましたが

「引退」「隠居」「現金をつかわない生活」「資本主義への反抗」

「なにもしない(オデル)」などの書物をあつめたコーナーも

あるわけですよ

 

べつにきちきち現金をえるような勤め(雇用)が

生きることの必須ではない

 

ということを自分にいいきかせた上で

 

ここで方向転換すると「自分でカネを他人からゲットする」ほうの

雇用ではなく自営のほうに話をもっていくと

カネをなぜ他人がオレに払うのかといえばそれに値するものを

オレがもっている場合で「売ってます」といって並べている場合だ

 

まあネットに並べてもいいのだが(オンラインショップ メルカリなどの

オークションサイト)ネットは荒海であらあらしく競争相手が多数いて

とても面倒くさいのでやりたくない

それよりは「他の人間がそれをしていない場所でする」ことに

したい

場所

場所であるよ

大事なのは

そう

場所である