ひとつに絞る。マヤのことは分からない。だから親と子のことにする。親的に、子のことを、わかっていると、自信を持って断言するのは、どうなのだろうか。ワシの意見は「そんなことは有り得ない」である。つーかワシのスタンスは「人間が自分も含めて人間のことを誰か一人でも分かっているなんてことはどこにも有り得ない」であるからして。しかし世の中の親たる者たちはどうも「あんたのことはワシらが一番わかっているのだから言うとおりにしろ」と往々にして言うものだ。あるいは「こうした方が未来的にいいに決まっているのだからワシらの言うことをきけ」という。こっち(コドモ)は、「言うことをきくという行為自体が嫌」なんである、たとえ破滅への道であろうと。そのくらい人間の「自分が一番である性」は強い。これを自負心とかプライドとか言う。
さて一方、他人の指針に従ってその通りにするのは頭を使わない分、楽である。楽であるが、もしも、全然自分の望まないところへ連れて来られたとしても、指針を出した方は責任なんぞとってくれないんである。時間は戻らないんである。
だから自負心があるのであれば、全部自分で決めておけばいいんである。
問題はいつごろからそうするかである。ワシの場合ははじめて就職した会社を半年でやめたときにさんざん親に叱られて、なんでこの年になって叱られるなどという恥辱に甘んじなければならんのかと大変疑問に思った。恥辱。はずかしめ。親からすれば「この間違った者を正道に戻さなければ」という使命感に燃えていることは重々わかった。しかし。「正しい道」は一つではない・あれから11年が経過した(早いなあ)。ワシは今は親に学費を出してもらい(頭を下げて頼んだ)学校に通っている。が、嫌なことは嫌であり、今でも最初の会社が嫌で辞めたことは間違っていないと確信している。後悔とかしないタイプなんである。おかげで今でもモーヲタ活動を自由にできる。
何の話だ。全部自分で決める話だ。いかん。なるべく女王の感想でまとめるつもりが自分の話になっている(かこつけて)。
女王も教育しようとしていることだけは確かである。なぜ私立を執拗に勧めているのかだけはいまだにわからに。この文脈で行くと、「女王は私立に進むことを唯一の正道と考えている」ことになるのだが、どう見てもそれは奇妙な思想的傾向である。日本に公立中学が何個あってそのうち何個が「そこに行くと人間終わり」なものであるのか。そもそもそこに行くと人間終わりなんてものがあるのか。/////話が循環している。ドラマ的都合で極端な設定の方がいいということも分かっている。さてそろそろドラマの次回の展望とかに戻って締めようかなと思う。次回。希望することは特に無い。マヤと和美は交感している。亡霊のように現れるマヤに真っ先に気づくのはいつも和美である(主人公だから)。交感が次回もあってほしい。交感というのは霊的交流である。プネウマ。
例えば、和美が小学校教師を目指すというラストだって容易に想像できるわけである。あ、いかん、あまりにも陳腐なゆえにありそうだという予感。