タイトルだけでもすっきり。
さて。
いろいろあるが、疲労もあるし、それによって日記が短くなるのである。
たとえば、
LOの12月号と1月号が届いたので感想を書こうとか思ったのだが、気力がもたなかった、昨日は。
今日は。
うーむ。
東山先生がちょっと離脱してるのかしら。
上田裕先生のライトな線がスキだ。さばさば女子ばかりがヒロインなのはきっと理由がある。
宮内先生はねっとりしている。情が濃い。
モロコノミ先生(アルファベットで書くの面倒)の変態性欲には感服する。
といったライト感想ばかりだ。
本当はもっと情熱をこめてじっくり長文を書くべきなのである。
気になっていることは連作。
どれだけセックスを「軽く」扱うことができるのか。
どこまで、というべきか。
あらゆるエロ漫画が日本にあって、(ひょっとして条例規制でもうすぐ消滅するのかもしれないけど)、エロ漫画は「エロ大好き」という気持ちが支えている。
エロにはいろいろあって。隠すのがエロだとか、開けっぴろげにしてみる実験とか、まったく脱がないとか、戒律とか、ストリーキングとか、比喩表現とか、いろいろあるのだが、
なるべく軽視するというのもその一つである。
つまり「こんなのなんでもないわよ」である。
この系列は、エロとか肉体的衝撃とか精神的ダメージとかを全部「なんでもない」と言い切ることによって自分が大物であり経験者であり達人であり大人物であることを装うことを主眼としてる。実際にはそうではないことは言うまでもない。
そのために最後には、 陥落する。
というか耽溺する。
そこがいいわけだが。
そのあたりの短い落差について考えていたわけだ。
しかしその連作の作者の名前を忘れた。
エロ漫画の作者の先生のペンネームは覚えにくくて困る。思い出したら書く。というか歩いてLOとりにいけばいいんだけど、それが面倒。数mなのにね。