よる2

しかし、ネット巡回しているとときどきすごい深い日記にあたったりして超すごい。
 ここでご紹介とかしない。 
 
 しかし概要だけ書いてみる。要はサイン会である、オレはサイン会っていったことない。 
 その人はOさんといってAV女優なのだが、同時に写真家でもあり、そのサイン会(出版記念サイン会)に行ってきた話である。
 深い。 
 
 
 てゆうかこれは詩なのである。
 
 これだけで、それがどれなのか分かる人は幸いだ。というか。いったい何を、どこで、何を知っているというのか。
 
 Dig、水曜。録音。聴く。もと大蔵省という人が二人やってきて、議論ではなく自分のいいたいことを言う乱発ラジオ。まあ面白いけど。
 もう去年2011から感じはじめたこととしてラジオのような公共の音声拡散器官で、何を語るか、語る、語り口。それらを聴く方が感じることは。「実際の生活についての語り出ない限り、いい気なもんだなと言われてしまう」ということだ。
 感じとしてはオレが「室内労働者」であるだけで、農民のオッサン爺に「こんなあったかいところでさ」と言われてムカっとなるような感じである。
 そりゃ外は寒いわ。でもそれお前が好きでそこで仕事してるんだろ。
 
 いわゆる高等な方々は文民で事務的なオフィスワークとかしていらっさるんでしょうけど、その仕事は果たして世界にとってどういう位置付なのかね。よくする方に働いているのかしらね。書類の上で何をころがしてもしあわせをたかめることに寄与しているといえるのかね>>?
 
 まあそんなことをいうと無知無学な農民が一体自分以外の社会全体について何を寄与しているのかと言われるのだが。
 
 いったい自分のまわりにひろがる社会なるおそろしいもやもやした広がりに、なにか寄与しなくてはいけないきまりなど有るのだろうか・自分が好きで好きなことだけしててなにがいけないのか。意識の中に社会がなくてなにがいけないのか。
 仕事の切迫性とか考えるわけである。