舞姫 7―テレプシコーラ (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)
- 作者: 山岸凉子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA(メディアファクトリー)
- 発売日: 2005/03/23
- メディア: コミック
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さてどうして山岸と大島に関連があるといえるのか。この二人は人間の顔を描くときに、何か徹底した抽象化を行っている、と私が思うからである。それが、効果を生んでいる。どういう効果かというと、「半端な具象よりも高度な抽象の方が遥かに細部のきめ細かい生の情報を伝える、くっきりとありありと」である。まあ漫画で絵である点ですでに抽象なんですが、それは置いておいて、漫画にも「人間らしい顔」の絵と、ときどき「人間には見えないが人間のつもりで描いてるんだろうなあという顔」の絵がある。山岸と大島の描く人間は、ときどき「人間には見えない」んである。私にとっては。
推測なので、全然真実と違っているだろうことは承知で仮説。ストーリーがあり、それをこういうお話だよと語ってみせるその方法として、語りでも映画でもなく漫画という形式を選んで、そこで人間が顔で怒った顔や悲しい顔やいろいろな顔をする。そのキャラが怒っているのかうれしいのか悲しいのか、どうなのかはストーリーの流れやネームを追う方法でも分かるし顔の描かれた表情を見ても分かるし漫画記号を見ても分かる。どうやって分からせるかは漫画家次第である。 山岸と大島はどうも描かれた表情の優先度が低い気がする。高度すぎる抽象なのかもしれないし、あるいは特に意識していないのかもしれない。が、いずれにせよ、そのように、淡白にさりげなくシンプルな線で描かれた顔が、「濃密に表情を描き込まれた顔」よりも、感情を読者により深く感じさせることに成功しているのである。とりあえずここまで。