memo
たしか・どこで読んだかー多分立ち読みしてた週刊アスキーだと思う、フィギュアスケートの村主さんが武光徹さんの言葉を引用していたような気がする、それはこんな文章「すばらしきものはそこかしこに偏在しているが目にみえず手でさわれるものでもない、それに気づく人もいる、私の場合は、それを人に分かる形を与えようというときにたまたま音楽というカタチをとって」あああああ、ごめんなさい、多分武光さんは絶対こんな感じの言葉など述べていません。私ことさぬきが、読んだものの記憶を勝手に改変しただけです。
ところで。今日読んだ文章、内田樹「私家版・ユダヤ文化論」について加藤典洋が書いた書評にも似たような話があった、引用するといろいろありそうなので読んだ結果として私の記憶が改変したものバージョンをここに書くと「真理とかほんとうのこととかは誰もそれに気づかないけどもともとそこにあって、一部の誰か宗教的天才などがたまたまそれに気づいてカタチをつくったことによって他の皆もそういうことに気づいた」というような話。ああここでの私ことさぬきの改変は自分のいいたいことをいいたいがための恣意的な変え方がかなりありますね。まあいいけど。俺の日記だし。
まあそういうわけでまだこの内田先生の新書を買ってないけどさっさと買う。あとみんチュもいいかげんに買うぞ。ワンダDVDも買うぞ。先に貧乏の苦しみが目に見えてもしらないぞ。知るもんか。あと、「愛理さまと桃子」について、まさにオレの感じていたモヤモヤを文章化してくれた偉い人がいてたいへんすっきりした。キッズ関係で、贔屓目をなるべく薄くしたような批評を書く人が少なくて、たまに見つけると大変うれしいのよ。リンクはしませんけど。いろいろありそうなので。