那須恵理子さん。はじめて漢字知った。

この、「はじめて知った」ことは、「漢字なるものをはじめて知った」のではなく、「なすえりこさんの名前の漢字での書き方をはじめて知った」ということを意味している。文脈からそう読める。しかし、文脈ーcontextーを無視すると、それまでは漢字のない世界で暮らしていた僕が、はじめて漢字なるものの存在を知った、ということにもなる。
かように文脈は大事なものであり微妙である。
つまり。
あるひとつのアニメについて何かを語りたいときに、それ以前に存在したアニメたちからなるアニメの歴史、アニメ界というものが(仮に)在って、その中ではたとえばあの系列のOPは代表的なものはこれ、とか、この製作会社はこういう感じの映像が得意、とかいろいろ「既に確立しているテーゼ」があるわけだあ。それを無視していきなり話をはじめると、「それ、こっちのこの例ではもう既に試みられているんだけど」とか「いや、その意味ではこれの方がより先鋭的な表現を生みだしている」とか茶々を入れられてしまうわけだ。
あれ、歴史議論?
文脈ってそういうところで使う言葉じゃないだろ。そうですね。なんだこの日記。