それよりもなんというかフシギなことがある。
いや俺がそれを不思議だと思う、そのことが不思議なのかもしれないが、まあ、人が何に対して(何のどの部分に対して)不思議と思うかがそれぞれで異なることそれ自体が不思議ともいえる。まえおきおわり。
さて何を不思議と思うか。
脳の機能局在である。
いやまあ。学校でおそわった。脳には機能の局在部分と、そうでない部分がある。たとえば四肢体幹の運動・感覚については大脳皮質のどのあたりが何という(だいたいの)一対一対応が解き明かされている・・・・・・・・・・・・・・・・・・と書いてみたが、これだけでも、正確には、とてもあやしい。たしかに一対一対応があるともいえるが、ないともいえる。
例えば運動について。○という部分を動かす。簡単に文章にすることができる現象だが、それを現実たらしめるために必要な要素は、分割するとけっこう多い。なにしろ人間はあることを無意味に行ったり有意味に行ったり、意識的に行ったり無意識的に行ったりする。運動野の例えば右手第2指の3つの関節を全部屈曲させるという現象を行う。これを独立して行うことができるか?普通はできない。意識的に、その動きだけを行うという意識があった場合には、(逆説的だが)体幹から上肢全体の筋収縮が必要になる。近位の固定なくして遠位の意図的な運動は不可能。こういうバックグラウンドは無意識であるが、これって「運動機能は局在じゃない」ってことを言ってることにならないのか。
いやちがう。いやちがわない。系統立てて整理しろ。うんぬんかんぬん。
しかもそのことが一部分壊れていても他の部分が独立して動いたり、はたまた動かなかったりするんだぞ!
なんていいかげんな機械だ。もちろん機械じゃないからなのだ。
と、いまさらのようにこんなことを書きはじめるのはやっと「なぜ片麻痺について理解したり治療したりするのは難しいのか」のとばくちにやっと立ってみたというか遭遇したというか。
まあ脳について「宇宙ヤバイ」と同じくらいヤバイ魅力を感じて語ってしまう人の多さがよくわかるよ。