とらドラ!がもうすぐおわる

午後:
おきる。いつもいくイオンじゃないほうのイオンにイキ(タワレコがある)、「抱きしめて2」を見る。買う?と思ったけどりーちゃんのいる大阪は21日だし、遠い。22が愛知なので。いかない。よってCD買わない。→じゃあ、CD買うのは単にイベに行きたいからだけだったのね!ひどい! →そうです。いやここはドライで。そういう方式に変えるのだ。正直な言葉をここに書くと「地方から、イベ抽選のCDを買って、さらにそのイベ抽選に落選する」のはたいへんにダメージ大きいんですよ。地方人がみな暇と金にあふれているわけがないだろう。だろう。
 イオン内スタバで「とらドラ!」原作10巻のつづきをよむ。
 そういえば昨日のよるは(職場で)ようつべで「とらドラ!」アニメ23話までを見たのだった。はげしく、きつい。まあ
二次元空間さんを見るにつけ(ここの感想が一番おもしろい)、みなは「みのりん、お前が言うな」のようだ。しかし、それを大河につきつける役はみのりんしかいないのだから仕方あるまいて。
 なんだかんだで、アニメも、あまりにこの複雑なストーリーはやはり2クールじゃ無理だったわけで、しかしそれでもアニメという「人物が語るのではなく人物を外から神視点でみることのできる」ステージの上で、われわれは十分にとらドラ!の世界を楽しんだのではないだろうか。アニメオリジナルの言葉だってあるのだ(オレの記憶が正しいなら)。オレの感じで言うと、小説の大河は、吐く息のいつも熱い(体温の高い)熱っぽい小動物であり不器用さが哀しさにもつながるような現実との戦いを常に強いられているような感じであり(往々にして背のちいさいおんなのこはよくこういう戦いをしている)、アニメの大河はもうすこしスタイリッシュな(どうしようもない現実をすこしだけ覚めた目で見ることによって自分の中ですこやり過ごす)女の子だ。わずかに像に違いがある、その違いもまた楽しむことができる。
 りゅーじが作者ゆゆたんにとっての「理想の男子」という話をどこかで読んだがインターねっつのある中にあった言葉だからうそかもしれないが、そう考えると、理想だと考えるとなにかがしっくりくるような気がする愛。キャラが愛されている。もちろんこの世界の人物たちは皆それぞれに十分に作者に愛されていると思うのだが(独身の愛されかたなどはとてもいいと思う、世界の中の「大人」は独身しかいないのだ、その役割を背負う独身はやや気の毒だがそれでもいいと思う)、とくにりゅーじはよくよく愛されている。と思う。
 いまにして思うと北村が何を考えているのかとか初期にオレが思っていた疑問たちはどうでもよくなっている。
 またいつかまとめていろいろ考えたい、原作を全部読みおわってアニメを全部見終わってから。