今 思い出したのだが。

まず
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10178349619.html
である。ホリエモンさんは何回かベーシックインカムにからんでブログで発言している。このなかに、「負の労働」という言葉が登場する。
以下引用
「でも働かないといけないという古い倫理観は残り、実は社会全体の富を増やす労働ではなく、社会全体の富を食いつぶしている負の労働があるのではないか、と思っている。」
引用おわり。
つまり
引用開始
「月20万の給料を貰って、実は社会全体は、その労働を作り出すのに月30万のコストをかけている、というような。」
引用終了。

 
つまり、そんな労働は、していただきたくない、いなむしろ、やめてくれ! とな。
 
しかしここで思うのである。プラスを生まないものはすべてやめてくれ消えてくれなのか。
 
 オレは最近多様性の確保こそが生き残り(全体としての生き残り)のテーマなのではないかと思っている。つまり無産のものを許容できる余裕のないような社会というのは社会として終わっているということである、
 そのために「社会保障」があるのではないか。
 まあオレは個人的には「個人単位にすべき」主義なのだが。どんな者であっても個人であることには変わりないので生存のための個人の努力をもとめるという主義。
 
 しかし個人としてもうどうしようもないレベルにあったり、また、生老病死老いたり病気したり、半身不随になったり、ALSみたいな動けなくなるものになったり、いろいろと、または鬱とか統合失調のような体の動きではなく精神として何もできない状態になるタイプ、さまざまな、本当にさまざまな理由で、さまざまな症状で人は「働」けなくなるのである。たとえどんなに願っていても。
 
そのものにたいして「いますぐ消えろ」とは言えないのである。なぜならばいかなる偶発的な原因か、自分がいまこの瞬間の次の瞬間にそのような「働」けない状態に変化しないとは誰にも保障できないからである。
 
 そういうものをかかえてなお前に進むことができるのが社会というものではないのか。そうでないならばみんなバラバラのモナドと化してしまえばいいのである(あーまたしらないのに聞きかじりでモナドなんて使っちゃったー)。