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小谷野先生はベストレビュアーなんですね!
 
 いや、西村賢太さんの本のレビューで見た。
 
 さて無理やりネタをひねるの巻。じっさいにオレの最近の興味あることは「覚醒・認知的能力の高さ、身体機能を維持することのキモは運動ではなく認知力、手足の動かし方を覚えていて忘れないこと」をどうやってデータ化するか、みたいな。
 介護保険の要介護の度は「かかる介護時間」で決められる。
 かかる介護時間。つまり手間のかかる人。
 
 手間とはなんぞ。「自分のことは自分でできる人」は、手間などいらず、自分でする。
 それができないから、時間が発生する。他人の。
 他人が「かわりに」するわけだ。
 
 それ、そこで、「できるけど疲れるし手間だから」他人にしてもらうものと、「できない」ものがある。
たとえばオムツをしているレベルの人が、自分でオムツの交換を正しく(まわりを汚さないとか)できるだろうか?
 たぶんできない。
 しかしこのことを、正確に描写するのであれば、もっと長い文が必要になる
1、なぜオムツ?
 2、たとえば尿便意を感じることが曖昧になっている
 2、たとえば尿便意はあるけどトイレ動作の筋力がない
 2、たとえば尿便意あるなしにかかわらず両下肢切断でトイレ使用不可能
さまざまな理由があるだろう。
 (後記:訂正します。両下肢切断でもオムツではなくトイレ便座を使用してらっしゃる方はいらっしゃると思います。でもオレのオロカさを残しておくために本文は消さないです。)
 (脊髄損傷で下肢麻痺だってプッシュアップできるならたいていのことはできるわな。)
 (それよりもオレの中心に考えていることは老人の方だ認知症
 認知症で、身体機能がほぼ十全に保たれているのに、認知がだめだめなばっかりにセルフケアが全然できない人がオレにとってのテーマなのであう。)

んーこういうことを考えていたのだろうか?
とりあえず風呂にいくので今日はここまで。