回想

おもうところあって数年前の日記など読み返していた。わかりにくい書き方をしているが、オレは、日記を書いたオレと同一人物なので、細かいところについては記憶の補完できる。ので、わかる。
 
朝、職場でNHKみてて、土曜の女子アナさんの、姿を見ながら声を聞いて、声と姿が、もとは同じところにあったことをことさら意識しながらみていた。
 TVでなければ、目の前に女性が一人立っていて、その姿を見ながら声を聞くことで、これは同じ一人の一つの存在から両方とも発していてオレの目と耳との二つの感覚器官に情報が届いていることを確認するだろう。
 
 うたがってかかると、「はたしてそうだろうか?」などと考えはじめて、操作とか情報隠ぺいとかかんがえはじめる。隠蔽。
 
 まあいいんだけど。
 
 TVってあらためて不思議な機械だね。どうして絵も音も画も音もとどくのかしら、遠くに。
 
 まあ今は、昨日からの当直業務が終わって朝になりやっと家にかえってきてリラックスして酒のんでらんらんらんである。
 
 TBSラをずっときいている。
 
 さて回想。昔の日記は役にたつ。たとえば友人の言葉をメモランダムとして書きとめておいた場合に。
 
 夜まではなにもないので、昼寝しよう。
 
 昨日の職場でそろそろ春が近づいているのでゴルフするぞオラァーみたいな掛け声をきいた。どんとこいだ。ゴルフはいい。芝。人為的自然のきわみ。ゴルフバカにならなってもいいがスコア上げるのは本当に大変。しみじみたいへん。プロのレッスンを、金はらって受けるのが、一番の近道だ。という言葉にはだんだん頷けるようになってきている。
 からだの使い方は、論理と心情の両方でなっとくしないと変わらない。