巧緻

すごいさんざんくろうしたようでいて、実は実際に行った作業はそれほどでもない結果としていま伊集院のラジオを聴いていてしあわせ。
 
 さて。
 
 仕事に追われているといえば普通だが、終われているのではなく、崩壊の序曲を聴きながら、この先どうなるだろうと我が身をあんじながら米が炊けるのを待っている。
 今日は週アス
 といえばコータリさんのコラムだが、そのコータリさんがクモ膜下出血にて倒れて手術との報。くも膜下出血(SAH:subarachnoid hemorrhage)である。心配だがなにもできない。みんなけっこうコータリさんのこと好きなんだなあ。
 でも人間みんな死ぬのである。
 
 適当。仕事はうまくいかないがうまくいかないのでどうにかしようとジタバタしているときが華である。それをやめてあきらめたらそこが終わりである。
 
 あいかわらずアニメは面白い。
 
 どうでもいいと思っていたゆるゆりを見始めて、キャラが生きてるなあとか思ったりしている。修学旅行編。なかなか良く動くし、鮮やかで。
 なんでもいいしどうでもいいのかもしれない。女子ばかり出てくるだけのアニメの栄枯盛衰、結局、世の中のコンビニのエロ棚の成分と同じかもしれない。
 女子がほしいエロは媒体のエロではないのかもしれない。
 しかしコンビニにはエロではない見せかけで実はエロの塊という実話系マンガ体験記ムックがたくさんある。エロエロ。ってゆうか昔から女性週刊誌とかで実話系の漫画化というやつは飽きるほどあるのである。
 そういうのが好きっていう人もいくらでも。
 
 結局分類としてはファンタジーであって、みんなファンタジーが好きなのである。妄想の実体化。
 妄想がいくらモヤモヤしていてもそのままでは共有も概念化も分散もできやしない。
 活字にあらわすのはもっともよい抽象化である。
 
 ゆるゆりの世界は理想の世界ではあるが、じゃあこれはストパンとはどう違うのか。ましまろとはどう違うのか。そのへんが大切。
 同級生でスキスキラブラブチュッちゅなのか、戦友でチュッチュなのか、あるいは小学生でまだラブラブとはなにかわからないのか。
 
 そんなこととは全く関係なく時間は流れてオレは老人に着々と近づいておりアドバンテージとしてはただ仕事の上で多くの老人と接していったいどういう老人生活スタイルが理想なのかあらゆるサンプルを採取するというだけの話である。
 
 そろそろ米が炊けただろうか。