よる

はしってもそんなに膝が痛くないって幸せだ。
まあ、加減しているのだが。こわしてみないとわからんこともあるだろう。
 
かわいこちゃん人妻ナースちゃんと人妻じゃないけど子持ちナースちゃんがどっちもかわいかった。
 
しかし眉を描くってのは、どう描いてもいいわけだが、近くで見ると、ただの顔面に描かれた平面の黒いエリアなのであるなあ。
 
近くでみることができる僥倖。
 
さてつねにラジオをきいている(録音)が本日は伊集院。スペシャルウイークである。ノリノリである
さすがである。
 いつも彼は、痴愚鈍を体現する「痴豚」として、徹底的に、彼自身がなにを感じたかを包み隠さずラジオで語ってくれる(それがどんなにとほほでどうしようもなくマイナスな体験だったとしても)・
 そこが田村ゆかりさんともども語りがどうにも魅力的な一人語り名人の共通点である。
 かなしいはなしも、かなしいと同時におかしい、おかしみ、泣き笑い、のようなものが生まれてくる。
 
 そういう話(おそらくはかなり真実に近いからこそ本人のリアリティの出る話)は、なかなかリアルの人間関係ではきくことができない。
 なぜなら、そういったマイナスを含む話は、「弱み」でもあるからだ。弱みというのはオレにはこんな弱点がある、こんなことでがっつりへこんだ、といった「傷ついた体験の話」である。
 人間、できれば、「オレはどんなことでも傷つかない」というフィクショナルな人間像を体現したいと願うものである。
 たとえば映画のなかのシュワちゃんのような。ヒーロー的な。
 
 かなしい、きずついた、やられた、損した、だめだった、そういうことは隠しておきたいものであるが、稀有な一部のラジオパーソナリティは、包み隠さず話してくれることで、それを娯楽として消費してくれと我々の前に投げ出してくれるのである、
 だからオレはそういう人を尊敬する。
 
 わかるように書けただろうか?
 
まあオレもいろいろ傷ついているのである。ラジオはいい。とてもいいぞ。今後もこだわっていきたいが、はたして文章であらゆるラジオについて語るのはまだ間口が広すぎる、もうちょっと絞ってもいい。