よる

いろいろ。帰宅した。
 
俳優座劇場で「山里亮太の140」を見てきた。千秋楽。 
 彼のライブはとても面白いが、会場のドアを開けて外に出た瞬間に全てを忘れるので内容を書くことがでけん・こまったもんで。
 
 今回の上京。
 カレーくいまくり。
 都市の在り方について考える。
 自分の限界に付いて考える。
 などのことをしていた。
 
 自分の限界。つまり「ダメな自分を受け入れる、ありのまま」が、いかに、言葉で簡単で、実際に難しいか、だんだん滲みてきている。マジで。
 
 カレー。本当にいろんなのがある。今日の昼のはヨコハマ港北ニュータウンの都築区の「ラニ」さん。ナンがうまいが、ナンがけっこう塩入ってんじゃないのって感じもかんじた。ただし「本日のカレー」たけのことチキン、は、すごくうまい。かえりに道あるいてたら無人販売所にたけのこがごろごろしていた。このへんの特産か。
 
 都市。
 というか都市と郊外。
 今回は雪が谷大塚という土地(大田区)と、横浜市都筑区南山田(みなみやまた)のあたりとかを歩いていたのだが。
 まず雪谷。地名では雪谷大塚町なのである。駅名との乖離。
 なんちゅうかね。踏切だね。
 というのは東急蒲田線は高架になってないから地上にあって踏切である。カンカンカン。
 そして商店街。
 駅、線路、電車、商店街。
 
 オレは杉並区で育った男として(といっても15の年からですけど)、京王線に育てられた意識を持っているのだが。何がといえば京王井の頭線。吉祥寺、久我山。永福町。蘆花公園。荻窪の駅からバスがでてて、あの公園に行くバス、あの漢字はなんだ、と思ったものだ。タウンセブン
 まあ踏切というのは大切ですよ。いきて地に立つ感覚はあれでないと育たない。中央線が早くに高架になってしまったのでその周囲の人民と子供は鉄路に対しての肌感覚を失ってしまったのだ。
 と思ったがよく考えると荻窪駅は地上だ。しかし踏切は存在しない。南北の通路道路はぜんぶ下を潜ることで解決した。掘ったのだ。丸の内線の駅も地下だ。
 
 オレが浜松で愚弄アップしていたときにも自転車で鉄路を見に散策したものだ。浜松には新幹線もくる工場があってだな。それはいいとして。
 
 で。港北ニュータウン。前々から気になっていたので今回いけてよかった。横浜市営地下鉄だけど一部区間は高架である、とくにセンター北駅付近、なんというか明るい明るすぎる、この世のものならぬ感覚、デパートに付属する観覧車(阪急ね)。 
 街路と樹木、並木道、有名私大の付属中学高校、公演、家。個人の一戸建て、並ぶ、立ち並ぶ、ひたすらたちならぶ、たくさん、マス、インデックス。
 あんだけ家がたくさんあるとちょっとこわいね。
 ニュータウンだけどね。
  
 そう、そこには貧困を覆い隠すなにかがあったんだと思うのよ。日本人は昨今貧困があたりまえのように数が増えたからそこかしこに貧困が存在するのであるが、
 さて貧困人間はどこに住んでいるのか。
 あんた知ってますか。
 
 たいていは昔からあるふるいタイプの住宅街にいる。そこにはバラックとみまごう古い住宅があり、おそらくすべて殆どが平屋建てである。
 板の壁。トタンの屋根。スレート。
 しかし雨風はしのげる。
 
 そういう土地はなかなか区画整理もすすまないし車社会にあるはずの駐車場も存在しがたい。
 
 ニュータウンとはまったく異質の世界。
 
 とか思いつつ歩いていたのであった。神奈川県って乾いた丘陵だなあといつも思う。オレにとってのイメージ。
 
 なにしに東京にいってるのか。
 まあ地方都市に封じられてる感をそのたびに打破する感じか。かりそめの。