絶望の向こう側になにがあるのかって、そもそも絶望に向こう側なんてあるのかね??
日々絶望の壁に当たってぶち衝突、衝撃が痛い。
家に帰って夕食を考える。スープ的なものがいいなあ。あったまるし。
オレにとっての絶望とは「妄想する元ネタが枯渇した」状態である。つまり妄想でほわーんとしている状態が保てなくなった。現実にいやおうなしに直面せざるをえなくなった。現実はきびしく、初老のハゲは孤独で体調悪化である。しかしそれでも死に直面した難病の患者と比較して幸せであるといえるか、もちろん幸せです。直で死にダイビングしてるわけじゃないしまだもうちょっと生がある。
しかしこういう言い方は極端ではないのか。
別にオレなんぞが生存していてもいなくてもそれは世界にとってはどうでもいいことなのである。
価値とかないしな。
Integrity,
一貫性。真摯さ。「自らがそう信じていることをやろうとしている100%の信憑性で本人がそう思っていることのみを語っている」。
さすがドラッカー先生はいいこというね。NBOの連載からの転載です。
そういうリーダーについていったらいい、という話です。
やきそばもあるんだ。いいよなあ炭水化物。
難病になれば自分ではわからないままにすべてが退潮でありそのうちいいたいことも口が動かずいえなくなっていき行動もまた思うようにいかなくなり、わかってもらえずただそこにいる存在になっていくのである。
残酷きわまりない。
まあいろんな難病があるんだけどさ。
どうしてオレが44の年まで難病にならずにのうのうと生きているのか、
また、
脳梗塞や脳出血を発症しないでやっていられるのはどうしてなのか、
確率の問題なのか。
そんなんしらん。
たまたまオレはいま生き残っていてそうした難病の方々とかをクライアントとしてサービスを提供する側にあるだけだがいつでもひっくり返るひっくりかえりうるのである。
どこでもすっぱり切れる。ラジオをきく。