終わりが
みえている関係性
今日は今日はで一日が試練というか長く時間に追われ一方で昼寝しそれは車の中で、
yショップでおにぎりなどを買いそれを昼飯として食って車の中で仮眠をとるが昼の日差しは思ったよりも強く暖かく明るいので安眠を妨害し、
夜になると太陽は沈み暗闇があるが室内は照明にてあかるく、
人人が帰りだんだん少なくなり、わからないけども席順があり、
わからない中でも人間は会話をしており、なんだろう。
あたたかい感じもしている、
ちょっかいを出したり出されたりしているわけで、
ちょっかい。お節介ではなくちょっかい、有効性がないのかあるのか、
あるといえばある。
正しいことをしたいと思っているけれども正しくないかもしれないしハッピーな結末へと結び付けられないかもしれないけども、
考えなしにやっていることをできるだけ修正してできるだけ肯定形へと近づけていけるように思っている、思っているだけではだめでどうやって他人とも共通項を導いていけるか、
いけるのか。
どうやって。
多くの「障害を負った」または「生まれながらにして負った」とか「途中で負った」とか「あたった」とか。
ここ東北では脳卒中のこと脳梗塞や脳出血やそんな感じの脳のことを「あたった」という。あたったというのは不幸が的中したとか星がおちてきて中ったとか、敵中したとか、たまたまそこに命中したとかそういう意味合いだと思うのだ。
そしてそういう人間はスティグマを背負っていきていかねば、ねばならんみたいな感じであるのかもしれない。
そして家にとじこもりがちになるなどいろいろであるがどっちかというとネガティブであるわ。
しかし多くの他のなんもないといわれているやつらがどこまで幸福で充実なのか。
所詮あんまり大差ないやつらである。
中るっていうのはラッキーかアンラッキーか。