~ではない という表現であらわすとか 言葉以外の方法を使うとか

『イルカと

全4章のうち1章は読みおわった

最初が衝撃のスピード展開だったが1章は途中から「既存の精神分析理論や

ポストモダン理論のベース」における否定神学的要素の説明に必要なのでそれに

あてているのでそんなに衝撃がない

しかし最初のやつは大きかった

だから対話って実際にはどういう条件をととのえると対話になる

のかをオープンダイアローグ以外の場所でもそれは実現できるのかどうか

などがすごく気になるのであった

 

オレが(改めて)無意識に注目したいという気分になったのは

『20世紀

を読んだからだが

なんだっけ

『人類の意識を変えた20世紀』だ

無意識があるということが人間の意識を変えた

よく考えたら

無意識が見つかる前は人間の意識とはなんとあさはかな

意識が変わって無意識も意識だって(うるせえな構文)

しかしその無意識は「意識できないぶぶんがほとんど」

となるとそれは「あるとしても意識できないならしょうがない」とは

ならないのか?

って簡単には思っちゃうねえ

しかしそうでもないという

ないということがかえってそれをあらわす

みたいな否定神学レトリック

なのかしらねえ

オレも「~ではない方法」であらわすことをやってみようって

今日思ったんだけど

ねえ

 

しかしそれでも言語があまりにも「言語は現実からみたら実質を欠如している」とか

いうし

言語なくしてあらゆる感覚もありえない(認識できない)と

いうなら言語は認識のあるいみすべてともいえる

思考は言語以前には存在しなかったというのがオレの説だが

ねえ

 

そろそろねるか23時まわったし