夕日

へえ

 

週はおわり

週末がくる

 

よきかな

 まだ生きてるけど

いつ死ぬかとか知らないし

知ってる人はいない

 

死ぬまでは生き程

陛下

 

陛下の肩が濡れている

 

 屋外の園遊会2018=平成30年秋

 

傘があるものの

 

傘の中におさまらない陛下のモーニングの肩はぬれていた

濡れて

いた

 

そういう

ことはたいしたことではないと陛下がおっしゃるか

側近がおっしゃるか

なにか

どうだか

 わからん

 

 そういう映像だ

 

NHK

 

フィルム

 

そう

 

インタビュー

 

映画はすべてフィルムだった

 

そして

それから

デジタルになった

 

境に

 境港という地名

 

人間ども

 

万歳

朝日

真備町

 

岡山県

 西日本豪雨(H30 2018 夏)

洪水

ボランティア不足

いまでも豪雨の家の中の泥をかき出し終わらない

4か月たった後であっても

 

水害にあった住居などから水・泥を

かき出す作業やったことある人の経験

あれは「終わりなき焦燥感」である

だって終わんねえもんね

水はするすると

不定形だし泥も砂もつぶはこまかく

人間の手におえるもんじゃねえ

いくらでも拭いて拭いて

 

という記憶を思い出したよ水害

いろいろ経験してんなあ

あさ

あさですね

 

酔っぱらっても料理の火を

消さずに寝てしまうことはなくなったが

皿にもった料理をこぼすことはよくあるので

よくないなあと思われる

コストが高い

服も洗濯にまわるし

料理そのものは食えないし

脂分をふくむものが床に散らばると

それを拭いても油脂が膜となって床その他にのこるのである

洗剤で水洗いしたいしケルヒャー洗浄機高圧水ぶっかけたい

ってどっか過去にも同じこと書いたな

しょがないので

アルコールで拭いてふきとっている

よる

体調が一時的に改善し

昼は

チャーハンと餃子を食い

風呂に入った

 

風呂はいい

コドモがいた

風呂につかってぼーーーっとする

ヒゲを剃る(剃刀で)

しかし小雨と曇り

家でじっとしている

 

するとよるになるのである

 

とりあえずトイレットペーパーなど必要物資を買いに目の前のスーパーへいき

買って

かえる

 

昨日の研修会で思ったことなどをあさに書いたが多分

ぜんぜん残っているわけでもうちょっとここに書くと

つまり

 

世界というか風景は分断されているのであった

 

何を行うにしても事業をおこなうコトをおこなう為す

ということをやりたいねってときに

その内容や密度や重度重積度

経験というか目の当たりにしないとそれはわからんだろうと

おもうんだが

じゃあ経験ってどのようにすればいいのって話でして

 

たとえば

英語が身につかないと悩んでいても

英国や米国にとつぜん住むことになってしまったら

24時間週7日間(24hours-7days-a-week)英語漬けである

耳が覚えるだろう

 

つまりそれ漬けになる覚悟

 

課題

他人の感情に耳を傾けるとか

よりよい方向を示すとか

環境設定に妥協しないとか

 

 

そういうのを

「そういうのはいいから」と拒否する一群もあるし

 

それまでの方法は

 

それまでの環境は

 

環境を変えることに抵抗感を覚えることは自然である

そうですね

 

それまでの環境は変えたくない

  

すると一か所に留まるし

環境は変わらない

 

しかし

 

世の中の変化は当たり前に進んでいく

厚労省も考え方を次々に変える(厚労省は合理的に目的に向かってすすむ

行政組織であって観念としてはひとつであるつまり「適正給付」

こないだの研修会では市町村につとめる方が講師になってくれて

大変ありがたいのであるつまり厚労省が市町村にたいしてどういうものの

言い方をしているかを教えていただいた

結果(数字)を出せばインセンティブである

だせないと・・・・どうなるか・・・わかってるよね?

 

 だから必死に市町村は数字を出すためになにをすればいいのか

考えて行動して総合事業を行っているのである

 どうすれば行動変容が起きて要介護認定度を下げることができるのか

必死に探っているのである

 

そらー「セミナー」もはやるであろうよ

 

だんだん日本の世間はあからさまになっており

セミナーの宣伝も公然と行うし

医者の指示によらない療法も自費負担で行うのである

それがあからさまな現実

 

あからさまな現実は現実をすこしずつその周辺から変えていく