しかしより具体的に言うと、なにによって立つか、であって、それは職業技術(金をうむ)だけではない。というか金があってもそれをどう使うかじゃないと意味がない。自転車を買って、てきとうに走るようになってわかったのは、別に体を鍛えたいわけではなく、てきとうにそのへんの風景をのんびり見たいということだった。バイクでも十分みれるが、バイクで風景だけを見ていると事故になる。かといって歩いて、または走ってというのがなんかどうもいまいち無意味感にとらわれるおそれがある。歩くのはいいと思うが、それは冬にとっておきたいような気がする。自転車は本当にてきとうな感じがしていい。また、このあたりのアップダウンはなかなかに苦難であって飽きない。適当に走っていてもコースのことを考える必要にせまられる。なにもないところから考えるのは結構大変だが、なにかあるところから考えるのはラクなとっかかりである。
ひだまり365(11)
薬師寺(9-C)
ストパン(ラス前)
あむちゃん(バイオリン)
まで、見終わった。ストパンがもう終わってしまうとはなあ。はやすぎ。あんまりなぞとか解くつもりないってか。あとひだまり365は本当に面白いなあ。今回は屋上でひとりの時間をおにぎりとともにすごすゆのっちが結構レアだったのではないか。ゆのっちは、もしも宮子とかヒロさんさえさんとかとであってなかったら、ずっと内省的に、豊饒な孤独をかかえて生きてたんではないんか。それが屋上で見れたような気がして。あと、たしかにKさんの指摘のとおりで、具象としてゆのっちのパンツは出てこなかったね。