忘却

いろいろ思ってもすぐ忘れる。
・エースを読んでみた。角川の少年_?マンガ誌の「エース」である。ものすごくつまんない。絵がヘタクソ、というか、「マンガになっていない」のである。
舞城王太郎「暗闇(略)」で、「物語が人を呼ぶ」みたいな話。人が考えるのではない、話が人を呼びつけてその話を書かせる。
・WEB上で誰かの「橋本治内田樹」の書評を読んでみて、はあああああと思った(感嘆している)のだが、そうか、橋本には「物語が出てくる内発」が無いのか。考えをすすめることにより女子高生の気持ちや中大兄皇子の気持ちにはなれるのだがそもそもの「自分の内発的ぐじゅぐじゅしたもの」が無いのか。それは仮説としてすごくわかりやすいなというか橋本のなぞにせまる意見だな。たしかに橋本先生の小説はおもしろいんだが「一般に小説といわれているもの」とは何かがぜんぜん違うのだとは思っていた。
・「やる夫がフューラー」17、ドロップしたので読む。ついにブラウン嬢登場、それがつかさタンとはねえ。かわいくてあたりまえ。寝逃げ
・などといろいろ読んでいたわけでそれは今日は日直で電話番、暇だったからだ。
 
エースについて「ものすごくつまんない」と書いた以上、そのことについて少し書かないといけない。有原さんがかえってこないのは事務所の陰謀に違いない、と書いてもそのことについて「なぜそう思うのか」をたくさん連ねる必要は無いが(なぜなら直感に過ぎないから)、エースという実在する雑誌についてそれなりに漫画家も編集もがんばってつくっているものを「ものすごくつまんない」と書いてしまうのは、そしてその理由について何も書かないのは彼らに対して失礼と思うので、なぜそう思ったかを書く。
 絵が、アニメのラフみたいなのである。絵コンテに毛がはえたみたいなのである。
 結局絵なのだ。マンガは絵なんだよ。
 いくらネームが先にあるとはいえ、絵がもたらすイマジネーションはそのへんのネームを凌駕する、いともたやすく。だからいくらお話がおもしろくても、絵がダメなら台無しである。
 「ハルヒ」を読んだ。絵がダメだ。「ハルヒちゃん」を読んだ。絵がダメだ。
 「ハルヒ」の絵は、明らかにもともとの「そのキャラに顔貌を与えた」のいぢ絵がある以上、それとの比較が避けられない。どうしようもなく、かわいくなく見える。
 ハルヒちゃん。これはデフォルメキャラなのだとしても、それでもぜんぜんかわいくない。
 それ以外のマンガをぱらぱらとめくってみても魅力的な絵がひとつもみつからない。
 そう思うとジャンプのクオリティのすばらしさよ。どれをとっても、明らかにがんばって個性をつきつめて背景も工夫して、へんに白い画面や黒いだけの画面をつくるときにはそれなりの理由を付与して、ギャグならギャグで濃度密度をこれでもかとたたみかける。
 ような気がする。
 編集の存在価値というものをすこし考えさせられたのである。編集がつまんないと言いなおさせることの重要性を思い浮かべたのである。それがマンガ雑誌を長年やってきて生き残っているところのもつ力なのかなあと。まあオレがエースを一号だけ読んでこんなこと言っても何の説得力もないわけだけども。(つづく)