無縁社会

が、みれんかった。しかし夜中にまなめさんのところでまとめ(ついったー上)を読んだ。
うーむ・
 たしかに死んでからのことはある意味どうでもいいのである。問題は生きているあいだの孤独、不完全燃焼感、ストレス、その他。
 しかしもともと「生きてるのがラッキー」と思うという方法もある。
 オレ的にいうと、バイトバイトの苦しい暮らしからくらべれば、いまの生活は、本当に、月給もらえるだけでありがたく、孤独なんぞどうでもよい。というか真の孤独というのはやはり社会的な弱点からくるのではないか。つまり経済である。
 このへんが正しくついったーの上で集積されていたのでさすがに仮想集合知だけのことはあると思った。
 しかし問題はここからだ。NHKにできるのは提示だけであって考えるのはオレとかオレとかの個人である。
 
 孤独。
 孤独はべつにいいものではないが、ときにはいいものである場合もあり得る。
 
 どんなこんな。
 
 しかし「つながろうと思えばつながれるのに、それをしないのは、やはり一人でいたい、一人でいることを選択した、ということではないか」ってゆう発言、「つながろうと思えばつながれる?」。いや、なんちゅうか、あれだ、やる気の問題。ギミック。大阪人。いま急に大阪人といったが、大阪人というのは本当に常にボケたり常にそれに突っ込みしたりしてるのかいな。それは忙しいし大変だね。いやいや自然にやっているのよ。コミュニケーションの潤滑油として。と、ここで「自然」というのは「わざわざではなく」であり、意識しないで、である。意識しないでかよ。違うよ。その方がいいからしてるしそういうことができるからしているのだ。オレにはできないし、したくないし、そもそもするとしたら大変な労力を要するね。
 会話なんてストレートでいいんだよ。すぐ終わっていいんだよ。冗談とかおりまぜる必要ないんだよ。いくらですかといわれて300000円ですとか答えなくていいんだよ。そういう受け答えを親密さの度合いの判断材料にする態度がオレは好みじゃないんだよ。スタイルの違いだよ。うわー。
 でも世の中ってオレの好みとは全然違う方向で発展してるんだよなー。