老人の特徴

(ちょっとだけ話かわって)さっき車で考えていたことだが昨日のつづき、老人というのは「あとで取り返す」ことがもうできないために「何もかもすべて少しでも失いたくない」と考える者のことではないか。時間。
 金。労力。
 年齢によらず、いまあるものこと時間を失いたくないと必死になって腕をひろげ目の前のものをかき集めてがっと抱きしめてこれを離さないぞと青筋をたてている者が老人なんじゃないの(象徴的な言葉のつかいかたで)。
 てゆうか。
 
 だからなおさら「他人に尽くすことで自分が豊かになれる」みたいなことに賛成できないし、年金はいまのうちにもらえるだけ貰わないといけないし、権力は持っていることを維持しないといけないし手放すと手に入らないし社会を決定的に損ねるとしても自分のいまとちょっと明日くらいが最も重要で全体を見通すことなど関係ないし。
 
 10年先に生きている保障ないし10年先にこの会社や社会がどうなろうと知ったこっちゃないしとりあえず近視眼的だし。
 
 と書いてみたが、
 
 明日生きている保障は全人類だれにもないのだが、これは極論。
 
 老人が社会的結託を邪魔しているのか>?
 老人だけが?
 
 まあ社会と個人の関係の変化とか、衰退社会とか、未来暗黒社会とか、紫暗黒最中とか、いろいろあるとは思うのだが、たしかにオレが1970生まれで、20になるまでの見ていた社会の感じといまの感じはぜんぜんちがうよなあ。
 新幹線がどんどん延びるよ!
 と宣伝されていたことを覚えているしオレは鉄マニアの小学生だったから時刻表と常に親しんでいたが、
 いま、この、地方路線の赤字化三セク化廃止化そして新幹線の青森から鹿児島までの開通(まもなく)というなんか「かつての夢」っぽい情景をみていてもぜんぜん明るい感じを覚えず、新幹線は高いからなあ、としか思えない。どっかいくなら車で高速なのである。軽は安いしね。
 
 しかしこれもまたオレが40という年齢であることに依拠している現象であって70なら体力的に長距離ドライブができない。オレの父親がそうだ。ボウリングと気功をたしなむ健康老人であるがドライブは疲れるという、とくに目と判断力と瞬時の手の動きと。
 (これもいつか続く)