自分が自分と対峙するというが

するとわかるようになるのかって

それはわかんないよね

 

「自分の体は自分が一番わかっている」が

健康診断における最大の悪である(’発見できなくなる)

 

というのは

健康診断の目的は「Hidden病巣を発見すること」であり

「自分が自分をわかっている」という(誤謬)やつがそれを阻害するから

である

疎外 もともとは「うとんじて仲間はずれにすること」だそうです

阻害 じゃまする さまたげる

 

したがっておよそすべての凡てのことについて

「なにもしらないのでこれから先入見を排して知っていきたい」という

態度でのぞむことが

他人についても自分についても自分が自分をしっていこうというときにも

そのほうがいいのではないか

 

たとえ悪であってわるいところがあっても病巣でも悪事でも

性癖でも歪みでも醜さでも老醜でもそれに目をそらさないほうがいいのでは

ないか

 

でもそういうことばかりしていても疲れるしうんざりするよね

毎日「病院に勤務する」ことに明るさがあるかって

オレはあんまりないと思うよ

他人にばかりかかわっているのはいいことではないし

自分ばかりみつめているのもうんざりする

まあまあ

 

でもちょっとはしんけんに向かい合わないとわかんないんじゃないか

というかしんけんに向かいあうことでわかることもあるんじゃないか部分的には

 

「他人に話を真剣に聴いてもらった経験がほとんどないか皆無」という

話は

真剣にむかいあって対峙してそこでなにかを追求する舞台のことで

それが他人との間でもそうだし

自分と自分のあいだでもそうなんじゃないか

 

まさに

 

さがしている

 

だがしかし加齢をみつめてじっとそれをみて

昨日できたことが明日できなくなったらかなしいよね

快感を得るとかさあ~~

かなしいわ

いまある快感を大事にするしかないのだが