実在しないスタイル 

 話かわって最近よんだ増田のエントリに「ソープで200万」があるのだが、まあブもたくさんついているので皆さん読まれたことと思う、とかいって、
 ソープに200万ほど使ったのでセックスについて書く
http://anond.hatelabo.jp/20110122234700
http://anond.hatelabo.jp/20110122234838
のことなんだけど。
 思うに。このくらい「他人を喜ばせたい」と思って実際に研究するくらいの情熱があるということが大事なんだと思う。
 AVが「間違っている」わけではないと思う。
 AVは顧客を喜ばせるために最善をつくしている。顧客は画面の前でオナニーする多くの男たちである。彼ら(オレも含む)をもっとも喜ばせる方向に進化していった。それがAV流。
 そしてソープの現場はまた違うだろう。それぞれだ。ソープの現場での顧客がこれもまた男たちであるのは同じだが、さて、そこで男たちの一人一人が「どのようにオレは喜快感を得たいのかそしてまた再びここに来たいと思うのか」は、いろいろ、なんだと思うのだ。
 他人の喜びが自分の喜びであるならば、みたいなのもあるだろうし、そうでなく他人の喜びを自分のものとして受け取ることがどうしてもできないというかそもそもその発想が全く存在しない方もいるだろう。
 本来「欲望とは他人の欲望」なのだと思う。
 そこまで言葉をまとめるとかえってわかりにくい。