休日 は、明日

本日はしごと。
 
つくづく病気について考える。この世には「美しい病気」と「みにくい病気」がある。
 
 つまり「自らに瑕疵なく、きわめて不遇な偶然により、病魔に魅入られた結果として不治の病を得てしまった」のが美しい病。
 ”自らの「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」により、招かれざる病を引き受けてしまった”のがみにくい病。
 七つの大罪
 
 責任の話。こうこうこうしたから病を招き寄せた、あるいは「こうこうこうしたからこそその病がまさにピンポイントでやってきた」。
 
 病には本来責任も義務もない。
 病というのは「状態」のことである。ノーマルであるならばあり得ない、disorderが人間の身体に現れる。
 しかしそれは、別の視点では「かならず訪れる変調」ともいえる。生物は死滅することを命じられている存在である。もしhomeostasisが完璧であれば生命の死滅は(個体として)ありえないことになってしまう。それはこの世にありえない事実。
 
 本当は具体例を書こうと思っていたのだが、書くと、実際に現在その病を罹患している方に対してなにか影響を発生しそうだなあとちょっと思ってしまった。
 
 ともあれ、老いは本当は「病」ではないのに「病」の範疇に分類されてしまったミスマッチである。
 
 老いの現実は常に残酷だ。
 
 夫婦が揃っていてかつ子供のない場合の「寄る辺なき現実」などは格好の悲劇。老老介護にさえなれない共倒れ。