今日は、まず朝に週アスを買い、星占いを読み(福田先生です)、なるほど火曜と木曜が注意なのね、とこころに刻み、それから仕事にいき、困って、でも時間がたつと腹がこなれるので回復した。
 
 朝の徒歩通勤で伊集院のラジオをきき、帰ってから床屋とか風呂とかいろいろいく車で伊集院のラジオをきき、かえってきて飯もそこそこにまず焼酎を飲んでからネット巡回しながら伊集院のラジオをきく。
 そんなに好きか。
 
 好きというのとはちょっと違う、多分、好奇心みたいなことが涸れそうになって困惑している中でまだすごく「聞きたい」ことがあったことに安心したりほっとしたりしてるオレのことを安心させるためにきいているともいえるし、TVなんかよりよっぽど安心できる。チャーハンブームとか、どうして一人で映画みにいくのが寂しくてなんか後輩芸人をさそってしまって、その後輩芸人はショーパブで仕事してて、その仕事の明けが0200で、そこから映画みて(Super8)、映画みたあとに韓国料理食いに新大久保いって、おごって、これは「アフター」だな、ってゆう、つまり「囲っている」ことなんだけど、「パパ」であり、で、なんで。どうして奥さんは和歌山から帰ってこないのかしら。どうなのかしら。もう帰っているけどそのことをオレが知らないだけなのかしら。なんかね。愛し愛されて生きることが理想である(オザケンの声は今でも好きだ)にもかかわらず理想なんてどこにも存在しない。奥さんは帰ってこない。後輩芸人の「おごられる」感覚ってなんだろう。寂しさの代償。どうして一人で見にいかないんだろう。オレは一人で見るのが好きだ。あと伊集院のことは基本的に全肯定だ。でなければこんなに10数年もラジオをききつづけてないです。