じゃあ

一体オレは何を憎んでいるってゆうのか。
 
 さっきまでの話で言えば、なぜ女子だけが女子だけしかいない世界でのキャッキャウフフのアニメばかりになってしまったかの答えが出ている。
 男子は醜く汚い存在だからだ。
 
 つまりアニメ世界には男子の存在する場所とか汚いものとか醜いものの存在する余地がないのである。
 
 そうです。男子がいればそれだけで汚いし醜い。
 また、女子であっても、女子の中の醜い部分汚い部分については映像でこれでもかとあらわすことは困難だ。
 
 たとえば。
 「LOVE AND POP」って日本映画がある。女子高生渋谷でエンコー。って映画である。
 でも、あの素晴らしい愛をもう一度である。
 なにがってEDです。
 
 これがついさいきん「日常」でEDとして使われていたのですよ。
 
 エンコーって醜いものだと思う・?
 さあ。わかんねえ。でもアニメで扱うのは無理だったと思う、実写だったから描くことができたと思う。
 
 そのへんが商業アニメの限界だと思うのである。
 えっと。
 
 神様のメモ帳がエンコーを扱っているのだと思う。
 そのへん。
 
 どう思われますか。
 
 オレの今かんがえているものとしては、やっぱり「囮」の撫子ちゃんが醜いこころが実体化の話なのである。これをアニメで表すのはやはりむつかしいのではないかと思った。不可能ではないけれど。
 それでも。
  それでも、日本の「一見いい子であたりさわりのない生活を紡いできた子が、実は邪悪の塊で呪殺くらいは簡単に可能な恨みパワーを全開出力ドーン」ってゆうそのようないい子の抑圧がどのくらい凄まじいかについて書こうと思っていたのだ。
 
 日本語の「いい子」のたったこれだけ3文字の単語のもつ広がりといったら、他のあらゆる言語に対しても自慢できるくらいの拡張性だと思うから。
 「いい子」がどのくらい歪んで歪んで(ゆがんでひずんで)いるか教えてあげたい。
 
 まあ、「ラブ&ポップ」についてはたぶん違法うpと削除の繰り返し戦争を繰り広げながらも今でもようつべの上に映像と音声が展開しているのである。
 けっこう感動的である。
 
 この映像についてはオレはVHSで所有しているのでさっさとデジタル変換してVHSのテープを捨ててしまわないとなあと思っているのである。おわり。