・いっとうや にて、つけめん食った。んまい。さすが。
・帰宅したのはいいがドロ疲れた。新潟日帰りはダメージ大きすぎる。
・結局個別ケースのソリューションは個別に考えるしかないのである。
つくづく(まじめに)思うのだが、
そこに必要なものは、「顧客満足」なんですけど、どうすれば満足するかというと、何をgiveしてくれたかについて測るのは顧客の方で、それが顧客の設定したランクに達していれば成功だってゆう、この仕組み。
測るというのもまたこれが数値化しにくいスタイルで、愛情みたいなのも入っているし、傾聴態度みたいのも入っているし。極端なことを言うとなにもしなくても傾聴だけしていても徹底していれば成功もありうるのである。
いや話がそれた。
そのあたり。仕事がとくにオレの仕事では「満足度」なのか「客観的なスケールで測定できる達成度(顧客の満足ではなく顧客が獲得した”能力”)」なのか、そのあたり、
まったくもって科学ではない。再現性もなければ、比較だって本当は不可能なのだ。
統計処理がいかになじまないかをつくづく学会なんて出てみると実感する。
だんだん言葉をセーブして書くのが面倒になってきたので理学療法の話だよとあらわにする。
いわゆる病院でのリハビリの話である。
医療保険で保険点数が発生している制度の中でやっている以上なんか厳密なものがないと不安なんだろう。
でも医療そのものがそもそも全然科学なんかじゃないのである。
医療というのは経験則の積み重ねであるし職人的態度の累積でもある。
なにかができるというのではなく、なにかを見て「判断」できるだけである。判断の上で斬ったり貼ったりしているが、それはあくまで付けたしである。
死ぬやつは死ぬし。死ぬのを長引かせることはできるし。
魔術ではないが、個別テクニックでしかできないならそれは魔術と言われても仕方ない。
だから責任なんかとれないのである本当は。よくならないことを個別ケースの病態に転嫁して批判されたって、ほんとうに原因がその個別ケースの病態にあるならば、「はじめからこれは無理だと言うべきだった」みたいなこと言われたって、「わかりませんでした」としか言えない。
わからないけどやってみようみたいな態度は本来金銭授受が発生する契約にはそぐわないものである。
だがそうしているのである。