よる2

協力は皆無の話だった。
昔から組織が嫌いなので死ぬまでにはフリーランスになりたいと思っているがじゃあ今日やれって話も。
むつかしい。
食べる出す動く。
さっきの続きで言うと、尊厳ある最低限の人間とは、自分の口で食べられて、自分で排泄できて、そして自分で動けるということだ。
いくら補助具を電動をたくさん使おうとも、自分で。
乙武さんが尊厳あるというのは、電動車いすを最大活用してどこへでも行き仕事(講演等)をしていることによる。盲目でも四肢欠損でも、盲聾でも、関係ない。むしろ関係あるのは、目に見えない、精神、感情、認知、社会的交流のほうだ。いくら上の食べて出して動くができても、それを何に使うのか、目的があって社会の一員としての規範にのっとっていなければ、尊厳ある人間とはみなされない。
 例として認知症状としての徘徊を挙げてみる。
 徘徊というのは多くは不安という感情が身体に表現の場を求めた結果といえる。動き回る。どこに行きたいのかわからないがエネルギーは膨張しており出さなくてはいけない。しかし目的地は存在しないので、どこまでも動き続けるだけのことである。
多くの場合は同時に時間や空間の見当認識も失っている。過去や、異国をさまよっていることもある。
 こういうのは別に本人の自由といっておいておけばいいのかもしれないが、まあ、知らぬ人の家をどんどん叩いてわけのわからんことを言い、警察に保護されたりして、家族は迎えに行くわけである。
見てきたように書くか。