よる

なぜオレはこんなにも
「現在の境遇にはとくに不満そんなにないのに、未来の状況への不安にかられて」いるのだろう。
 
 さあね。
 
 当直がおわって、やっと風呂はいってかえってきて焼酎をぐっとあけるととてもいい気分ではあるが、
 さて。
 未来の不安ってのはまあ、仕事もなく、金もなく、年金はからっかすで、食うに困っていて。プライドだけは高いので他人に頼るのがイヤで、行政も助けにならず、飢えて死ぬっていうプランである。
 けっこういいプランだと思うけどなあ。
 
 そんでもって実際の問題として、オレは、仕事として、けっこうおもしろい例を間近で見ているのだが、それはアレだ、施設があってその施設は収容を主な旨としている施設である、行政がつくった収容施設であるから。
 行政というのは面白いもので、たとえば家族が解散してしまって、そのまま独居でおいておくと確実に死ぬようなセルフケアのできない人間がそこに存在することを知ってしまうと、その人を「ある意味強制的に」収容しないといけないらしい。
 べつにほっておいて死んでしまっても行政が責任を問われるとは思えないけど???
 
 まあそれはそれとして、そのような人間というのは、多くが、知的障害、発達障害、子供のままで大人になってしまってそのままじじいばばあになってしまったような奴なんですけど、そういう初老くらいの人が収容されてオレの職場の近くに「住んで」おり、そういう人とよく仕事でいろいろ過ごしているんですけど、小学生ですね、行動が。なんでも欲しがるとか、ちょっかいを出すとか、そういう感じ。
 
 行動の自由がなくても、そのような発達障害のラリパッパであれば、いつも幸せでいられるということがある。
 
 ラリパッパという表現は差別的なのかもしれないが、
 あれなんですよ、発達障害で子供的なパーソナリティのままで自分のしたいことしかできないで大人になってしまってそのままこいつはしょうがないからほっとこうといって周りからほっておかれたんでそのまま老人になってしまった成れの果ての方々というのは、
 ラリパッパとしかいいようがないじゃないですか。
 
 つまりリンボの地においておかれてそのまま長い時間がたってしまった人でありますよ。
 
 まあ死ぬのを待っているのだが、けっこう元気なので、それはなかなか長生きしてしまうかもしれませんわね。