よる

ところで全然関係ないんだけど「ニンジャスレイヤー」読んでいる。
いま2巻目である。
 主人公であるフジキドはどうもなんか内面がどうもよくわからんが、復讐が目的なのか、ユカノを助けるのが目的なのか、それでも死んだ息子と妻は甦らないし、その他のいろんな星のごとく目のくらむようなたくさんの登場人物たちは健康にわるそうなネオサイタマで生きているし金ドラッグうまいもの。
 サイバーパンクをわざと曲解したらこうなった系。おもしろいよ。
 
 うまいもの。今日は朝飯は職場でつくられた朝食、昼は菓子パンと調理パン、夜というか夕は崎陽軒シウマイ弁当だった。三芳のパーキングで買った。と思う。
 シウマイ弁当は伝統というかおなじみというか、ひたすら味が濃いのである、だからうまい。ばくばく。
 
 ニンジャスレイヤー。ギリギリの世界。生きて死んで生きて死んで。
 その中に復讐もあるが、なにかの希望もあるのかもしれないし、それを求めてすすんでいるのかもしれない。
 
 車のロングドライブでいつものようにラジオをきいていた。東京ポッド許可局。「すべての小説がラノベ化しているのか>?」
 そうともいえまい。
 ラノベというのは記号化をうまくつかいすぎて「よみやすく」「早く」「簡単な理解」をすすめたものとして見ていいのかね? 
 
 小説はいつもその現在の眼前の絶望をきりとって書くものだろうと思うのである。その時代時代で。たとえばオレが読み終わらないオリバー・ツイストは英国における汚いくらいジメジメした時代の少年の生き残りにはなにがあればよかったかについての話である。
 
 ニンジャスレイヤーのネオサイタマも専ら世紀末環境汚染サイタマであるしふつうにそのまま現実の埼玉とほぼ同じですよと言ってもいいのかもしれないと思うよ。
 
 だって未来はただ暗いというのは共通認識だしね。
 明るくなる理由がまったくない。進歩は終わった。
 空気も人間社会の構造もすべて暗く濁っていく。
  
 東京ポッド許可局をポッドキャストできくことをあの人におすすめしたい。オレもあの人も、同じような「家族をつくれないしもたないしまったく未来を持たないオッサンの成れの果ての」現在を過ごしているだろうと思うからである。
 あのラジオを聴いていると現在について笑ってしまえと思えてくるのである。たとえそれがどんなに悲惨でも救いがありえなくても。
 笑ってしまえばそこでそれは笑いという形の週末を迎えるのだ。
 
 パムッカレ。