「ちょっとできないことを言う」
”もぅなにも考えないょ!!”
無理です。
”正解を求めないでいくょ!”
それならちょっとできそうな気もすこしする。
もっとシンプルにするだ。うちの職場のおばさんは「もう悩まないことに決めたのでアタシは悩まない」と言っている(一部フィクション)。いい方針だ。オレもそうしたい。理想の自分とかべつにないので、なければ解決だ。
ところで。
オレの本音みたいなものがちょっとおそるべき精度で書かれているやつを翁が紹介していたのでここにURLメモっちゃう。
http://nomenzura.net/entry/2014/01/04/151150
35歳独身の私は両親への思いと今後の人生について常に迷っている
「能面ヅラ美」様より
おおおおおおおおお。なんと。これがたとえフィクションでもなんでもいい。優れた文章は誰もに「これはオレのことだ」と思わせてくれる。つまりこれが深い共感。そうだそうだ。シンパシー。
同じようなことを思ったのはコンビニ店長の24時間残念営業における
「歳月と恨み」である。
大変残念なことにサイトは閉鎖、魚拓もみつからない。
それでもこのエントリはおそろしいほとオレの共感を奮い立たせた。
だからブックマークしたし、そのオレのブコメに星がけっこうついたので驚いた。
常に迷っているのもいい、しかし、迷っているのは「まだ正解というか解決というか方針決定を出していない」という保留である。保留していれば、まだ「間違った結果」も「正しかった結果」も出していないのである。
しかし時間は過ぎていく。
だからいっそ、迷わない考えない、ということが現在に集中することの第一の条件なのではないか。ヤケクソとはちょっと違って。
まあヤケクソでもあるのだが。
もちろんオレだって地元に友人なんかいないよ!!!!いるわけないじゃん当たり前。