よる

何と混ぜていたかって、野沢菜わかめです。野沢菜は長野県発祥とは思いますが、わかめはこのへんの特産でしてな。肉厚。うまいうまい。
 
 酔ってくって寝て、そして起きたらこういう時間です。ほぼ予定どおり。
CRKラジオ関西青春ラジメニアをきく。音楽もりだくさん。
 
 ラジコプレミアムなんですけどね、これ、課金して、その金はどうやってどのように配分しているのかしら。
 サーバを運営するための資金がどのくらいかかって、とか。
  
 ヴィンランド・サガ14巻、感想。
 生きているのはいいことだが、まあ、家族が生きていて、生き別れか死んだと思っていた息子・弟が、生きて帰ってきて、それを信じたり信じなかったり、そういうことがあるって、ちょっといまの日本で想像できるかというとできなかったりもして、オレの最近の日常からいえば、海外というものについてそれを可能にしたりしてる人が近くにいたりして、お話したりして、ああそれってすごいなと思うんだけど、それはちょっとした決断とか思いとか踏み出しでできてしまうものであって、ああ、すごいなって、思ったりもしている。
 王なるものは葛藤の中におり、彼はそのように葛藤しつつ人を殺戮しつつなにかが変わっていく。世界史というものを見ていて、どうしてどこかで「変化」がおきたのか、それをどうもちょっと不思議だなあとも思っていたのだが、どこかで「いままでのやり方がそんなによくないので変える」と思った人がいて、それで彼は周囲のことをかまわずに思ったことを実現する力があったりしたんだろうと思う。
 
今日はそれとは別に14巻を買った本屋で他に立ち読みもしていて中公新書で「禁欲のヨーロッパ 修道院の起源」佐藤彰一 著、を見ていたんですね。肉の愉しみを知った未亡人がどうするのかなるものが登場したりするんですけどね。
 変化。厳しいのもあるしゆるいのもあるし、制度はいろいろあれど。
 制度の中になにかを禁じたりあるいは解禁したりしているものがあるわけですが。
 人間ってセックスと食事と睡眠と、あとそのあとに生きていくための 何かがついてくるわけで。
 何かはなんでもいいので、狩猟でもいいし農業でもいいし、略奪でもいい。他人のつくったものを奪ってくう、大地から恵みをもらう、他の生き物を屠ってくう。ほふる。
 そのうちに制度なるものができてきて「祈るまたは弔う」ことをもっぱらにするだけの人もいてその人たちは喜捨で食っているようですがよくそんなんで食っていけるな。まあギリシアとかその他修道院は「自給自足」で農業やって自分たちでなんとか食ったりしているようなんですけど。
 そういうことを考えさせられたりしました。グリーンランドで狩猟とわずかな農業で人間がいきていけているってのも、イヌイットが狩猟中心で生き残ってきたのも、ちょっとすげえワンダーだと思うのです。
 いまのオレはコメがいちばんうまいと思っているし。
 米みたいな植物系の炭水化物を、そんなにぜんぜん食わなくても人間が生きているってね。とうもろこしもイモもキャッサバもくってないんだよ。麦も。いや麦は食っているのか?うーむ。ブリテン島とかは麦だよな・・・