よる2

まあそれで。ひんやりしたこのリビング。居間。夜。静けさ。ほんとに。人間がそんな住んでいるの?いるんだけど寝てるんでしょ。しかしふつうに朝も昼も、物音こそすれ、人間の会話する声なんてきこえないからね。不思議っていうのかなんというのか、清音性。
 
 いやね。その場所の広さを感じるのに、たとえばJRのディーゼルカーが2時間かけてががたっごごと言って走ってやっとたどり着くというのは身体性と時間を帯びた距離感だと思うのよ。2時間って、かなりですよ。バスに二時間乗っているとすごく疲れるのね、スペースが小さくて脚も延ばせないし伸ばせないし。列車だとまあロングシートだとあしを曲げ伸ばししたりいろいろできる。延々と森林がつづく。窓から緑しかみえない。そしてたまに駅に止まるもののその場所には家もなにもなんもないのにどうして駅があるのん?ってな。
 ちょっとだけ住んでいる人のために駅がある。
 
 JRが手を引きたがっているのもわかるわー。
 しかしあれは交通インフラだからな。私企業の収益性とかどうでもいい。どうでもいいとは言わないが。でもインフラってのは公益のために行われているものだろ。
 またここで規模の話になりそうなんだがそれはそれで。
 
 今日いってきた講習会は政治的な話だったんだけどつまりそれはどんなものであっても職能団体である以上は政治性をまぬがれないし複数の職能団体の間で利益は相反しているし闘いだし生きるか死ぬかだしたとえ他を圧したり潰したりする結果となろうとも生き延びるためには主張とロビーイングと発信を行っていかないと結局朽ちて滅びるのみであるというすぐれて意欲的な講習会だったわけだ。
 なかなかこういうのにおめにかかれないので日本も変わったなあと思う。だから規模をすりかえるなっと。
 
 結局個人も同じことで他人は他人を蹴落とすために生きているのである。意図せざる事実。
 
 書くというのは、たとえキーボードを打っていても書くは書くであり、なかなか面白い。まとまった形で脳が外延で外に顕現。