よる

 どうにも人間としての末路が辛く萎んでいる。しぼんでいる。
 
 若く熱気と活力ある人たちがよろしくうまくたのしくいいことをいい事業を公共の有益に資する活動をやってくれていればいいしオレはそんなん参画できない。というか能力と頭の力のある人でないとそんなんできないと思う、オレにはとてもできない。
 
 というのがオレの本音なのだが、どうもこの職場は、オレの不安などはほっておいて、希望と末来の明るさに向けて突き進めていくようだ。
 そこにおいてはこの職場が提示する「理念」が明るく輝いて啓蒙活動よろしく暗きところを照らしていくようなのだ。人に向けて他人にむけて社会に向けてこのようにやればいい方向に向かうのだよと照らしていくようなのだ。
 そう言っているのだ。
 
 あんたら楽しそうでしかもそれを実現できそうでよろしいがオレは一抜けさせてもらうよと言いたいような気がしている、オレはいったいどうしてそこから抜けたいのか。
 どうにも。
 オレは資質としてそこに一枚噛んでいくだけの能力も自信も資質も経験もないんだが、とくにそこに噛んでいていいくらいの「自信」がない。というか
 
 社会事業を起こしていくときにいったいなにが必要なのか。
 
 実現「できるかもしれない」ことを必死でやること自体はいいことだとは思うのだが。
 
 なにがオレを妨げてるのかよう、ようわからん、「デキッコナイス」というキャラがいてだな、それはなにについてもデキッコナイスと言うのだが、
 
 オレは基本的にはこの先いいことなんかもうないしもういいやと思っていて、じゃあいますぐ自死してしまえばいいのだがそれもできないがともあれこの先についてはもうええわと思っているようだ、
 
 馬糞のような匂いが人間から出ている。
 馬糞と藁とが混ざって発酵しているような匂いである有機的。
 
 社会変革。イノベーション
 
 そんなんより目の前の個々の人たちにたしかな結果を作っていきたい(などと言うとそれはできていて当たり前のことでそれをこなして満たしていてというのが前提条件でそれの上で社会貢献を検討しているんですけど?)なんて言うわけだ。
 
 オレにとってはその前にあるたしかな結果をつくることについての汗かいて必死に勢力をつぎ込んでいる部分がすべてなので社会貢献などという高邁な方針については何も言うことなどありません。と言いたい。
 
 余裕がないところで何かをするのは自殺行為であるし、
 全力で事に当たるなんでそれもまたリスキーに過ぎる。
 
 寝る。明日は休日。とはいえ休日出勤せざるを得ない。しわしわ。