yoru

帰宅した。岩手県沿岸地方に。
 
21(土)夜あたりから書いてなかったので備忘録。
 
土のよる。
消費はしないものの、長崎のネオン街をうろうろする。ちょっとこわいが。おねえさんに声かけられたのは一回だけだった。鹿児島のそうだったが、長崎も、ネオン街、ホスト風にいちゃんと髪アップにしすぎたねえちゃんたちがぞろぞろしているのはほんの一角。かぎられた範囲。長崎の場合では「丸山」とか歴史的地名がはいる。朝の4時までやってます喫茶店とかあってびっくりする。思案橋って界隈。 
 
金と酒と女と男みたいな。それだけ。暗いところでしか生きられないみたいな。
 
わかんないわけよ。スナック文化とか。・
港町にはかならず小さいスナックなどの「癒し安らぎ酒女やさしい感じ」の金を落とす場所があったということでな。それはそうなんだろう。
 なにしろ遠洋の漁業から帰ってきたのでぱっと憂さ晴らししたいわけなんだなきっと。
 
 なんちゅうか性的サービスでも金を稼ぎたいんだし。
 
 宮古においても小さいドアが閉じられていてそこを開くとスナックが。
 大森でも。・
 
 どこでも。日本のあちこちで。
 
 別にどうでもよいし普通の人間たちは別
夜な夜なうろつくなんてことはしない・・。
 
迷った末に中華街でちゃんぽん食べる。うまい。西湖って店。
 
22(日)。
晴れた日曜日。
 とりあえず、平和公園。平和の像。みてみないとわからない。表情とか大きさとか。この像を昭和30年に完成させるということの意味。
 しかし平和公園も資料館も、歴史的意義のとくにない普通の日曜日であれば、閑散。
 
 路面電車にのって諏訪神社にいく。ここは長崎の「急峻な地形」をみるに最適ではないか。普通に市街にヤマがあるかんじ。
 この感じは沖縄でも感じたなあ(歩いて空港からてくてく首里までいった)。
 まあ晴れて景色のいいこと。
 
 歩いて眼鏡橋へ。
 
 いい天気の昼間。
 
 グラバー園(と、大浦天主堂)へ。
大浦(略)ではほんとうの結婚式があるらしく、キモノの女性も幾人か。
 グラバー邸。いい感じの平屋。しかも場所がすげえいい。贅沢きわまりない。
 
 歩いてそのへん。水辺の森公園。ひろすぎる。贅沢。
 子供をつれてきたファミリーが子供を遊ばせるに贅沢。
 
 やがて時間がきて軍感島へ。
 
 かわいて小さい島であるが岩を埋め立て歴史的に拡張、
 船のデッキで写真とるのに階段途中にいて陽をあびて日焼けした。
 
夕方。
 
 まだ食っていなかったので長崎駅ロイホトルコライス
 列車にのって佐世保へ。
 佐世保バーガー
 
 くうものはくった。
 
 佐世保から高速バスで博多へ。
 
 なんというか。
 高速バスというのは「格安な手段」「誰でも使う」「ぐったりしている車内」である。
 
 九州や四国中国、 東北や北海道など、JRになぞ頼っていられない地域の代表選手でもある。
 オレはもともと鉄なので(時刻表鉄)、JRを擁護したいが、21世紀の昨今で地方においてJRが何をしているかというと、それはもう頼りないの一言だ。
 たしかに諌早からの大村線には女子高生JCなどいろいろ若い人が乗っていたが、それは単にバス路線が無いとか高いとか滅多にこないとかだけのことであって、
 全国で言えばJRなぞは「そんなに頼れない」インフラではないか。
 
 なんでもいいけど。
 
 佐世保は人口がすくないのか、駅前の閑散と、すぐよこにあるハーバーの商業施設においての閑散が思われた、
 どうしてそんなに寂しいのか。
 
 オレがそうなだけなんだろうと思うが。
 
 博多につくとさすがに巨大都市。
 
 22日(月)
 床屋(QBハウス博多東口)にて髪を切る。
 もっと繁盛してほしい。接客態度いいし、ここはいいところ。
 
 地下鉄で福岡空港へ、
 
 もち吉のおせんべえを売ってないかなと思ったが1タミ2タミうろうろして無いの結論。
 福岡ーいわて花巻のJALはJ−Airの運行であり機体はCRJ200(ボンバルディア)。ちいさいわね。でもジェットだからね。種子島行ったときはプロペラだったしな。
 
 いったいなにをしに何が面白くて旅行にいくのだろうか。気力を振り絞って夕食の店に入るとかな。 しかし気力があるのかないのかはわかる。
 なければ一人で旅行など出発できない。
 金はあるが。
 
 今回は「司政官 全短編」をさっさと行きの飛行機で読了してしまったのでそのあとは暇つぶしには福住コ2級の勉強などしていた。あとはラジオ。
 結局東京ポッドを中心にきいている。今回はもっともイケてたのは、佐世保の街におりたって、駅前しか見てないけど、まったく人の数が少なすぎるのに建物だけはちゃんと近代であるというこのなんかミスマッチ甚だしい感じ、のところで佐世保バスセンター(西肥バスセンター)から乗った夕暮れの高速バス博多行きがとおる道筋、ラジオでは「タツオの結婚式をみんなで考えよう」と言ってわいわい言っており、風景は佐世保の中の「もっとも人口の時に集中するファミレスであったりスシローであったりイオンであったり」のところを通る。スシローでは夕食時で客が待ち時間を店の前の芝生やら樹の前やら土に腰をおろしたり子供は走りまわったりして6月だしもう蒸し暑いし夕暮れになればそれなりの安堵みたいな南国の空気、
  
 一方で宮古に帰ってくれば温度はそれなりなれどひやっとした空気で全く違うのであった日本長いひろい。
 
 メイン目的であった軍艦島に上陸できたのは幸いであった、天候風波により年間3分の1くらいは上陸できないんだってさ。よかった。そして次もしいけばまた風雨台風にさらされて違う姿になっているんだろう。