仕事に行けばいったで
もちろん客先では最善を尽くすに決まっているが
最善をつくしていても変えられないものは変えられない。
というか最善といっているのはオレだけで周囲(同僚と上司)はそれに疑いをもっている。とオレはみている。だから肩身が狭いどころではなく職場は針の筵である。
という想定。
さっきまでTOP5を聴いていて外山惠理アナ体調不良により急遽お休みでハセンが代打である、ハセンとサイ上か。男だらけ。ゲストも堂珍さんで男だらけ。
こないだメガネびいきにおーいぇー川畑さんがきていてあれはよかった。
ケミストリー。
このデュオの誕生させた番組とか、あと巨人の高橋由伸のデビューとか。
つまり20世紀の最後あたりの話である。
記憶鮮明。オレにとっては脳ミソのフル回転時代かもしれない。そのあたりオレは何をしていたかというと
まあ、神田神保町にてフルタイムアルバイト職を得てなんか間違って安定して仕事していたのだった。だからテレビとか見ている、東京で。テレ東を。
だからこそモー娘。とか出てきてはまったりしていたのだろう。
客先で最善をつくすというのは、なんだろう、オレの力不足があったとしても、社会とかとのつながりがここしかないという人もいるし、なんだかんだで訪問看護ではなくて身体動作の専門家としての訪問リハビリを求めている人も確実にいることはいるのであった、ただそれが果たして正しい方向性かどうかは分からない、生命が生きているかぎりは本人が求めるものとか家族が求めるものとかがあってそれはニーズではあるのだが、
それは「達成できるものなのか?」「達成するためのeffortに耐えられるのか?」「できないと知っていても維持はできるのか?」という課題がある。
不活動の人を状態維持するための訪問リハビリは一週間に一回の訪問ではとうてい不十分で足りないし維持は不可能という意見がある。
死んでるような生きてるような。
自分で考えろ、と、自分では考えるための能力を喪失している人に向かって言うことはおそらくは残酷ということになるだろうが、
自分で考えられる能力をもっているという判定(保持、あるいは喪失)を誰が下して誰が判定の正確さを保証するのであろうか。
なんにせよ健康なるものの概念があまりに狭く、
不健康であっても短命でもなんでもいいというふうにはならないのはすべてお金の問題だ。社会保障で医療費の扱い問題。
なんていってもしょうがなくてオレは仕事としてミクロの個別の具体例に毎日正面から対峙せざるをえない立場なのでおかしくなってくるのもさもありなん。lessor氏の健康が心配だ。オレなんか経営者じゃないからまだ逃げだせる。逃げ出したときにはオレのメンタルがどのように崩壊するかわかんないけどまあずうずうしいからたぶん逃げても大丈夫。と思っておかないとどうにもならない。今日も酒のんで自炊して焼きそばつくっておいしいおいしい食って寝るだけのことだ。明日も職場にいきたくない、いきたくない全開フルスロットル。