まあつまり信用されていないというのは組織においては生きにくい生き地獄。私はその世代なのでイキジゴクということばに敏感にならざるをえない。中野富士見中学にて自殺した彼を同級生の世代として。
のうのうと生きていても生きにくいし死んだも同然。しかし腹がへる。昼飯はハムチーズパン。・
たりなかった。
空腹。
ガス代はらった。
ガス代を払いにいき、待つ間に岩手日報をみていると「ローソンでワオン」の見出し。どういうこっちゃ。さいきんはPONTAカードにお財布機能とかなんとか、にぎわし。
うるせえな・
なんというかね。オレの場合は祖父が自殺(みたいなもの)だったらしいし、高校の部活の後輩が自殺したり、ほんのみじかい期間にいた彼女の友達が自殺でトラウマとか、いろいろ自殺に目がいってしまう。高校のときにデュルケーム先生の自殺論とか読んでみたり。なぜか。自殺というのは、病死よりも、記憶に残るからだ。あきらかに。こころの。
それは意志による死というか。
まあさいきんでもそのへんに自殺はころがっていますし、それは人の口にのってひろがる。
みにくいことではなくても、しょっきんぐ。
つくった浅漬けは完成した。はやいな。