どうも土曜の朝です。
 
いつもおもうことは永遠は人間には与えられていないので「この今の思っているサイクルについての感想は今だけだ」ということを思い出したほうがいいだろうということだ。
 
つまり。
 
土曜の朝で「ああ・・・・・・仕事は月から始まるがいまはひとときのやすらぎになっているんだなあ。・・・・・・・・でもこの休み感はすぐおわってしまうのだなあ・・・・・・・残念ともいえる・・・・・かりそめの・・・・」と思っている状態は
 
その状態はあくまで被雇用者であるという立場からの声である。
 
なぜなら雇われ状態を脱するとそこからさきにはなにもないからである。
 
 別に畑を耕したり魚を釣りあげたりなんでもしたいことすればいいと思うけど、定期的収入をえられるのとひきかえに毎日毎週をスケジュール化されている生活に自分のカタをあわせて頭の中で時間のワクをいつも意識せざるをえない生活のライフサイクルは被雇用者だからしての独特のものだ
 
 もし独立自営農民として農業をおもにおこなう人であるならば農作物は育ってそれを食うなりそれを出荷するなりそれを直で他人に売るなり何をしてもいいだろう。
 
 なんかねー
 
 いつもどっかで労働していてもそこでの関係が終わって他のところへいくとそこであった関係が一気に断ち切られて終わって連絡先もわからなくなるのである
 
 誰とも連絡もとれない
 
 そんなことを繰り返してきた(辞め方のもんだい)
 
 んだが 
 
 なんちゅうかいまやってる職種をこのさき次にまた同じ職種で働くのであればいまの関係性とかたしかにありがたいのことであると思うし
 
 しかし
 
 いったいどこに行ってなにをするつもりかまるで決まらないいや決めるのはオレなんだけども