asa

水曜日、祝日、祝日ゆえ行動変化あるかもしれず。予想。

ああー

昼間暑い日だー夏日だーー

 
ちゃうちゃう、火曜日だす。

 「吉野朔実先生の訃報に思うぶ〜け黄金時代」
なんてカギカッコにくくってみたが、そんなくくりなど無意味だ。素晴らしいものがあった、あったんだということだけだ。
さっそくまとめがつくられているが・・・
http://matome.naver.jp/odai/2146221367481558301
 それでもそれぞれの多くの日本人の世界中の読者にとっての吉野漫画というものがあったのだ。脳内に。畜養されたまんが像があるのだ。
 
 たとえば「朔」の字から「萩原朔太郎」を想う人がいる。日本の『近代詩』を拓いた人である。
詩とはことばによって浪漫を他人の脳内に再生させようと発信を試みる人である。
 
 浪漫ってなんだ。
 
 カロヤンプログレ
 
 ここで唐突に商品名が登場したがそれはいま目の前にうつっているTVでキンキキッズがCMを演じていたからである。
 
 浪漫とは何か。
 たとえば堂本剛さんは音楽をただ音楽を通じてだけ浪漫を追及されておられる。今日放送のNHKFM「今日は一日JB三昧」でも剛さんは活躍しておられる。
 ファンク、ファンキーとは、どういうことか。
 
 そういう題目とおなじく「耽美とはどういうことか」
について考えて行動してそのためならば生などどうでもよいという態度に出ていくのが
 耽美主義というやつである。
 なにが至上の崇高な掲げ物なのかというと美しさである。
 
 しかし美の一文字を作家名に容れることはおこがましいと思って「実」にしたのではないかというのがオレの妄想である。
 
 若さというものがあってすごく価値が高い(稀少性)、値段など
本当はつけられないのである
 
 長い髪はそのときだけそこにあった
 
 「生活は踊る」まさに美しいものはすぐに美しくなくなっていくかもしれないがされど生活は続くのである長くつづくのだ生きている日々は長くとても長く醜くなっていく時間の経過もそこに含まれている
美しいままではいられない 
 石のように堅くあらねば美しいままではいられない
 あらゆる石も朽ちて崩れていくことが歴史によって証明されている
 
 しかし本は30~40年間くらいはかるくその形を保ってくれる、いくたびもの引っ越しを乗り越えてオレのもつぶ〜けコミックスの吉野作品も松苗作品もいままだオレの本棚にあるありがたい捨てなくて本当によかった。きれいな部屋などどうでもいい。本さえあれば。