ゆうがた

月曜日夕
 
本日は朝おきて洗濯、洗濯すんで車は走っていく、
途中とまって読書、「壇蜜日記」読了、「子の無い人生」(酒井順子)そこそこ読みすすめる。
子が無い人間は人間ではない。
くらいのいきおいで成功者は失敗者を追い詰めるし若者は老人を追い詰めるのであろう
それにしてもトートーメーの話はかなり興味深いものだったが本州においても普通に「独身女性は元いた家の墓には入れない」と思っているやつがいるとは。びっくり。
まあ法律ではなくて「習俗」ですから、人の考え方によってどうとでも変わるのだが。
 
同じく、人のかんがえかた、ラジオきいてた、月曜たまむすび「竹山ガム買ってきて」。思い込みによってつくられた、ゆとり世代は手をつないでみんなでそろって徒競争ゴール伝説。
ラジオにおける調査では、それは「ゴー宣がそれを描いたために口伝で広がったが、実際に現場を見た人は誰もいない」ということだった。
ただし例外としていま33歳(つまり1983生まれ、ゆとり世代ではない)の人が「一旦ゴール前で全員止まってから揃ってゴール線を踏む」ことは実体験としてあるそうな。つまり、現実として事実はある、しかし、ゆとり世代においてそれがあったという事実は誰も確認していない。
一部教師がそういうのを推進していたらしいということだけだ。
 つまり。
その現象が蔓延していたかどうかは社会調査の正確性をもって証明しないといけないのであって伝聞はたいへんに危険である。
 
伝聞と思いこみ 
倫理として、そうしなくてはならない(タブー、忌避すべきこと)と、
「皆が皆のしていることにあわせていっしょの行動をとらないといけないと思いこんでいること」はまたまた別である。
近親相姦がおそらくは遺伝的に悪影響をもたらすことが多いだろうというのは多分歴史的にあたっているだろうから倫理としてそれはやめとけとなった。(遺伝子を調べることはできないが結果を集積した)
 
それにしてもどうして近代の習俗を強く保ち続けたいと思っているやつらがすることは社会において均質性を尊ぶのであろうか。近代そのものだって多様な社会だったと思うんだけどな。・
 というか均質性ではなく「あるモデルにのっとった人生」だ。あるモデルというのが恣意的に選択されているところが大変に問題。
 
酒井「子の無い人生」にも野田聖子衆議院議員の例が出てくる。
 
モデルにのっとった人生、なんて、無理ゲーである。
 
顔ハメに顔がはまらないよ、と言っていることみたいである。あたりまえだ。顔の形は人人だれもが違って同じものがない。
 
オレのすることとしては「うしろくらいことをしているのならばそれは修正さるべき」であって
「うしろくらいというのは適正水準に達していないこと」なのだろう
正解がなくても手を尽くすことは必要で
手をつくしたけど それでも死んでしまったのならば責められず
もし死んだときに手をつくしていなかったならば後悔その他が生まれるであろう
 
オレに子もないのに老たる方々の人生に靴下履きでこんにちは
どんどん居間やトイレやふろにずけずけと入っていくのである
 
昼はカレーをたべました盛岡上ノ橋チャルテン、
キーマ野菜カレー2番にソーセージ乗せ
野菜は甘さを醸し出すのであったあとソーセージのガーリックかなりきいてるね
 
これであとはまぜまぜカレーを食べればいちおうチャルテンのメニューは全制覇である
 
しかし憧れとしてはグリーンの2番あたりをメインにして3日くらいつづけて食べたい
 
ともあれ。
トートーメーのように「ちゃんとした地域制度的供養システム」があるほうがかえっていいと思うのである
おまけに沖縄の供養システムは「菩提寺」のような「檀家」形式にとらわれていないと聞いた。それならばいいんじゃないか。戒名とか存在しないの>?そのへんはまだまだ勉強してください。
 
父へメール書いた
”まあレッテルはどんな名前だとしても、内容は「人間が幸せとおもう状態はどういう状態か、金銭とのあいだに関係があるのか」という話ですね・
もちろん金銭はとても重要であることはいうまでもありません。
あとは、男性に限っていいますとどうも、社会参加していること、自分が社会の中で「一定の役割をもっていると認められていると感じていること」が重要なようです。定年になって会社を去った後に、別のコミュニティ、別の集まり、なんでもいいのですが、他人の集まっているところにおいて自分もまたその集団の構成員として一定の役割をもっていると感じられないと男性は幸福度がさがる。
なのでそういう場をつくることについて多くの人がいま考えてる、思考錯誤しているというところが日本の21世紀の現在でしょう。
 
 いま、団塊の世代がまったなしでどんどん老齢化して一部は介護保険を利用するようになりはじめてどんどん高齢者社会に参入してきています(参入とはおかしいですね)、
 日本の現実は待ったなしでたぶん緊張の高い社会になっているのでしょう。生き残り、サバイバルであります。” 
 
友人がいるといいよね。
今日は帰りに510円払って新里の風呂に入ってきた、雑談してる初老の男二人、雑談はいいよね。