あさに図書館Aで週刊文春よむつもりあるが
そのあと図書館Cでコピー(歌壇俳壇の)とって
そのあと図書館Mにいってグロンダンの『解釈学』を
みてみるという案がでてきた
2時(ごご)までにいえにかえれるのか?
さあね
(後記
えっと調べたら図書館Mは休館日だった
そして図書館Aで週刊文春みようとしたらこれもじじいが先に読んでいたので
しょうがないとばかりに予約して5番目であるまあオレは宇垣総裁の連載を
読みたいだけなので待つのはかまわないし3か月後でもいいのである)
まあ今日はフロも休みだし日中気温上がるし
たまにはいいんじゃないのそういうのも
かけずりまわりですよ
ええ
たかがバイトがきまったくらいで{これで2030までは生存できる==~}
などと思うほうがおかしいとオレは頑なにこだわっておもっていたが
それは一面の真実というやつだったのだと考えることもできる
つまり「定期的に小銭はいってくるシステムに参加」である
その小銭で食い物買ってるんだから「生きるためのサブシステム」であることは
間違いないのである(迂回しているけどね)
ただしオレがいう「生きていることの本質」は別のところにあるって
オレは言いたいだけのことで
それはオレの実存の渇きをいやすような考えの深まりとか文学における
衝撃とかそういうものだとオレはこれまでおもっていたが
他人の様子が違って見えるというのも(こっちの認識の変化によってだけど)
まさに
なんか実践プラクティス(人生を実験ととらえる)みたいでおもしろね
おもしろいね
実験ととらえるのは「実験には失敗はつきもの:」という事実を扱いやすくする
レトリックであるからして
これはこれで手段の(表現の)ひとつなのである
なにしろオレの脳は表現を変えただけでかんたんにそれを受け入れてくれるのだから
しかしこれはオレの脳だけではなくすべての人間の脳がそうなんだよ
トランプはああやってどこに対しても「自分中心のものいい」をして
攻撃的であり
絶対謝罪せず訂正もせず間違っていることを「事実である」と
かならず強く主張する(真偽という概念がない)のは
そういう言い方をしろと師匠におそわったのが強い力をもっていまだに
かれを縛っているからそうなのであって
別にオリジナルな発明としてセルフビルドしたわけでもないというのが
アメリカーンなところだなあと思うのであった
自己啓発人間であるともいえる
バカバカしいけどね